玉村方久斗たまむらほくと

時代 昭和
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 本名:玉村 善之助(たまむら ぜんのすけ)
生没年:1893年11月13日 ~ 1951年11月8日
出身地:京都市(現・中京区)
別号:連城、北斗、タマムラ・ゼンノスキー
職業:日本画家(前衛的な作風で知られる)

経歴と活動概要
京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校を卒業し、菊池芳文に師事。
1915年、卒業後まもなく、岡本神草・甲斐庄楠音・入江波光らと**日本画研究団体「密栗会」**を結成。
院展(日本美術院)に出品し、1918年に「樗牛賞」を受賞するも、1919年を最後に院展を離脱(理由は横山大観との対立とも)。
前衛芸術との関わり
1920年代には、以下のような前衛美術運動に参加。
「高原会」(1921年結成)
第一作家同盟(D.S.D)(1922年)
三科(1924-25年)・単位三科(1926年) など
版画や立体作品にも挑戦し、雑誌『エポック』『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』の創刊に関わる。
また、『芸術市場』という美術雑誌も創刊。
私生活と晩年
恋愛や家庭面でも波乱があり、妻が詩人・野川隆と駆け落ち。
1930年に**「方久斗社(ホクト社)」を設立**し、それ以降は「方久斗」の雅号で活動。
晩年は前衛からやや距離をおいた日本画制作に専念。
1951年、東京都杉並区の自宅にて逝去(享年58)。