小室翠雲こむろすいうん
時代 | 昭和時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 小室 翠雲(こむろ すいうん、1874年8月31日 - 1945年3月30日)は、日本画家、南画家。本名は貞次郎(ていじろう)。父は日本画家・小室桂邨。文展開設にあたって正派同志会副委員長として文展新派に対抗した。文展審査員・帝展審査員をつとめた日本画の大家である。 小室 翠雲(こむろ すいうん、1874年〈明治7年〉9月10日 – 1930年〈昭和5年〉2月25日)は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家であり、特に南画(文人画)の分野で高名です。写意的な山水画に秀で、日本南画の再興に尽力しました。 ■ 基本情報 氏名:小室 翠雲(こむろ すいうん) 本名:小室 信次郎(しんじろう) 生年:1874年9月10日(明治7年) 没年:1930年2月25日(昭和5年) 出身地:群馬県高崎市 分野:日本画(南画・文人画) 画風:写意山水、花鳥画、水墨画中心 ■ 略歴・経歴 ● 初期の修行と南画への道 小室翠雲は、幼いころから絵に親しみ、まず狩野派の画家・川端玉章に学びました。その後、より自由な精神と詩的な世界を持つ南画(文人画)に惹かれ、**田能村直入(たのむらちょくにゅう)の門人である田近竹邨(たぢか ちくそん)**に師事しました。 この頃から、伝統的な南宗画(水墨による写意的表現)を軸にしつつ、写生と構成力を融合させた独自の作風を確立していきます。 ● 展覧会と活動 明治末から大正期にかけて文展・帝展などで活躍し、審査員を務めるなど中央画壇での地位を築きました。また、東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授も務め、多くの後進を育成。 ● 南画の再評価に貢献 近代に入り、衰退していた南画の価値を再評価し、再び主流の一画に押し上げた立役者の一人です。東洋的な精神性や詩情を重んじた作風は、同時代の西洋的な写実画とは異なる趣を持ち、根強い人気を博しました。 ■ 作風の特徴 山水画:遠近の処理や筆墨の冴えにより、詩的で幻想的な空間を描き出す。 花鳥画:華やかさよりも静謐な美を重視。 墨の濃淡:にじみやかすれを活かし、余白と呼吸のある構成。 文人精神:詩・書・画の三位一体を理想とする南画の精神を体現。 ■ 代表作・評価 代表作には以下のようなものがあります: 『幽谷清韻』 『秋山晩照』 『江南風景』 『蘭亭修禊図』 『山水図屏風』など これらの作品では、詩文を伴う画面構成が多く、南宋・元代の中国画の影響を受けつつも、日本的な情趣と洗練を加えています。 ■ 晩年と功績 東京美術学校の教授として日本画教育に尽力。 日本南画会の中心メンバーとして活動し、南画振興に尽力。 1930年に急逝。南画家としては異例の成功を収めた人物として、多くの画家から尊敬されました。 ■ 現在の評価と位置づけ 小室翠雲は、田能村竹田・浦上玉堂らの伝統を汲む日本南画の正統継承者として評価されています。近代日本画の中でも南画系の巨匠として、矢野橋村、西川寧らとともに語られる存在です。 また、彼の作品は以下のような場所に所蔵されています: 東京国立近代美術館 群馬県立近代美術館 高崎市美術館 など ■ 関連事項 小室翠雲の系譜を汲む弟子には、矢野橋村などがいます。 彼の影響で、近代における「南画=古臭いもの」という偏見が見直され、精神性・書画一致の芸術として再評価が進みました。 |