菅楯彦すがたてひこ
時代 | 昭和時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 菅 楯彦(すが たてひこ、明治11年(1878年)3月4日 - 昭和38年(1963年)9月4日)は、日本画家。鳥取県鳥取市出身。本名は藤太郎。号は、初め盛虎、のち静湖、静香。大阪美術会会員。大阪市名誉市民。浪速の風俗を愛し「浪速御民(なにわみたみ)」と標榜、はんなりとした情趣ある浪速風俗画で「最も大阪らしい画家」と呼ばれた。 菅楯彦(すが たてひこ、1878年 – 1963年)は、明治から昭和期にかけて活躍した日本画家であり、特に大阪の風俗や歴史画を得意とし、「最も大阪らしい画家」と称されました。写生を基盤としながらも、独自の画風で浪速の情趣を描き出し、多くの人々に親しまれました。 生涯と画業 出身と初期の修行:鳥取県倉吉市に生まれ、父・菅盛南のもとで絵を学びました。父の病により高等小学校を中退し、家業を手伝いながら独学で円山四条派や狩野派、浮世絵などを研究しました。 画号と結婚:1902年に画号を「楯彦」とし、1917年には日本三名妓の一人と称された富田屋八千代と結婚しました。しかし、八千代は1924年に腎炎で亡くなりました。 画壇での活躍:1928年に「春宵宜行」を日仏美術展に出品し、翌年パリで高い評価を受けてフランス政府に買い上げられました。1930年にはオフィシェ・レトワール・ノワァール勲章を授与されました。 晩年の活動:1937年に矢野橋村や弟子の生田花朝女らと墨人会を結成し、1949年には大阪府文芸賞、1951年には大阪市民文化賞を受賞しました。1958年には日本画家として初めて日本芸術院賞・恩賜賞を受賞し、1962年には大阪市名誉市民第1号に選出されました。 作風と代表作 菅楯彦の作品は、写生を基にしながらも、歴史や郷土芸能、古今の民衆風俗を主題にした独自の画風が特徴です。特に大阪の風俗を描いた作品は高く評価されています。 「皇后冊立」:聖徳記念絵画館蔵。 「春宵宜行」:1926年制作。パリで高い評価を受け、フランス政府に買い上げられました。 「職業婦人繪巻」:1921年制作。関西大学図書館所蔵。 「きつねのよめいりの巻」:1922年制作。関西大学図書館所蔵。 「浪花風俗十二か月」:大正末期制作。笠岡市立竹喬美術館所蔵。 「龍頭鷁首図屏風」:昭和初期以前制作。四天王寺所蔵。 「千槍将発」:1944年制作。大阪市立美術館所蔵。 「高津宮秋祭図」:1955年制作。大阪歴史博物館所蔵。 栄誉と後世への影響 菅楯彦は、その功績により多くの賞を受賞し、後進の育成にも尽力しました。弟子には生田花朝女や内田稲葉などがいます。また、倉吉市では彼の功績を称え、1989年に「菅楯彦大賞」が設けられました。 菅楯彦の作品は、現在も多くの美術館やコレクターによって所蔵され、その独自の画風と大阪の風俗を描いた作品は、今なお多くの人々を魅了し続けています。 |