青木大乗あおきだいじょう

時代 昭和時代
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 日本画家。大阪生。本名は精一郎、初号は宏峰。関西美術院で洋画を、京都絵専で日本画を学ぶ。新澄社洋画研究所を創設するが、のち解散して日本画に転ずる。結城素明、川崎小虎らと大日美術院を結成。同院解散後は無所属作家として個展の制作発表を中心に活躍。欧米や中国を歴遊し、写実を基本に深い画趣をたたえる作品を描いた。昭和54年(1979)歿、87才。

青木大乗(あおき だいじょう、1891年5月1日 – 1979年4月5日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家で、洋画と日本画の技法を融合させた独自の作風で知られています。その生涯は、既成の枠にとらわれず、常に新しい表現を追求する「野武士的」な画家として、多くの人々に影響を与えました。


略歴と画業の展開
1891年:大阪市天王寺区に生まれる。本名は精一郎、号は宏峰。
1912年:関西美術院で洋画を学び、京都絵画専門学校で日本画を修める。
1923年:新燈社洋画研究所を開設し、展覧会を開催。
1935年:新燈社を解散し、日本画に専念。
1937年:結城素明、川崎小虎とともに大日美術院を創立し、新しい日本画の創造を目指す。
1952年:大日美術院を解散後、欧米や中国を旅行し、取材作を発表。
1963年:大阪府と大阪市合同の芸術賞を受賞。
1970年:勲三等瑞宝章を受章。
1979年:兵庫県加西市の自宅で逝去。享年87歳。

作風と代表作
青木大乗は、洋画と日本画の技法を融合させた独自の作風で、特に静物画においてその才能を発揮しました。丹念な写生を基礎とし、幾重にも色を重ねた背景色や、光の表現にこだわった作品が特徴です。また、晩年には水墨画にも新境地を見出し、大胆な画面構成で人々の注目を集めました。


代表作:

《香心》(1924年)
《焚火》(1937年)
《古代土器》(1959年)
《鯛》(1967年)
《大鯛》(1977年)
《大自然の微笑》(1978年)

評価と影響
青木大乗は、中央画壇とは一定の距離を保ち、無所属の画家として活動を続けました。その姿勢から「野武士的な画家」と評され、既成の枠にとらわれない自由な表現を追求しました。また、彼の作品は現在でも高く評価され、美術市場での取引も活発です。

所蔵・展示
青木大乗の作品は、各地の美術館やギャラリーに所蔵されており、特に兵庫県川西市の「ミューゼ レスポアール」では、彼の作品を鑑賞することができます。