中村正義なかむらまさよし
時代 | 昭和時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 中村 正義(なかむら まさよし、1924年5月13日 - 1977年4月16日)は、日本画家。戦後の日本画壇において異端的な作品を数々発表し、「日本画壇の風雲児」と呼ばれた。 中村 正義(なかむら まさよし、1924年3月21日 – 1977年6月12日)は、戦後日本画の革新を担った孤高の画家です。伝統的な日本画の枠組みにとらわれず、現代的な造形性や精神性を追求した作品を多数発表し、昭和後期の日本画壇に大きな衝撃を与えました。 基本情報 氏名:中村 正義(なかむら まさよし) 生年没年:1924年3月21日 – 1977年6月12日(享年53歳) 出生地:愛知県豊橋市 父:中村岳陵(日本画家、帝室技芸員) 学歴:東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科中退 所属:日本画家(無所属期が長く、団体展にこだわらず活動) 墓所:愛知県・岡崎市 略歴と画業の展開 1941年:東京美術学校に入学。翌年、戦争の影響で召集され、学業を中断。 終戦後:復学せず、独自に創作を始める。 1950年代:院展などに出品するも、形式主義的な日本画界に反発。次第に離脱。 1960年代以降:個展を中心に発表活動を行い、「現代的日本画」の旗手として注目される。 1970年:『アートジャーナル』で日本画の改革を呼びかける評論活動も展開。 1974年:愛知県岡崎市に「中村正義美術館」設立(私設のち公立化)。 作風と特徴 中村正義の作風は時期によって大きく変化しますが、通底するのは「感情や存在への深い問い」を画面で表現しようとする強烈な姿勢です。 初期(1950年代) 古典的な技法に根ざしつつも、陰影と構図に独特な緊張感。 岡倉天心の東洋的美学を意識した構成。 中期(1960年代) カリグラフィック(筆跡を生かした)な描線。 仏画や能面をモチーフにした宗教的・象徴的作品。 色彩は抑えめで、墨と赤・金などの対比を重視。 後期(1970年代) シンボリックな人物像(特に女性像)や観音像。 墨線による抽象化が進み、画面の構成もより大胆に。 主題として「生と死」「孤独」「信仰」を多く扱う。 主な代表作 《観音像》シリーズ:精神性の極致とも言える宗教的主題を、現代的に昇華。 《裸婦》シリーズ:崩された線と構図による孤独と官能の表現。 《能面》シリーズ:能面をテーマにし、伝統の象徴性と人間性の内面を対比。 批評と影響 伝統的な日本画界(院展・日展)に属さず、**「反アカデミズム」**を掲げた姿勢は、多くの若手作家に影響を与えました。 評論活動も積極的で、日本画の制度や美術教育に対する鋭い批判を展開。 死後も評価は高く、美術史的には「戦後日本画の前衛的代表者」として位置づけられています。 受賞・評価 生前は画壇主流から距離を置いたため、公的な受賞歴は少ないが、美術評論家からの評価は非常に高かった。 没後、その革新性が再評価され、各地で回顧展が開催されている。 美術館・収蔵先 中村正義の美術館(愛知県岡崎市):本人のアトリエ跡地に設立され、多くの代表作を収蔵・展示。 東京国立近代美術館、愛知県美術館などにも作品所蔵あり。 補足:父・中村岳陵との関係 父の中村岳陵は院展系の正統派日本画家で、帝室技芸員としても知られていました。正義はその父の画風や価値観に強く反発し、異なる道を選んだことも、彼の創作に大きな緊張感と独立精神をもたらしたとされています。 |