山元春挙やままとしゅんきょ

時代 昭和時代
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 山元 春挙(やまもと しゅんきょ、明治4年11月24日(1872年1月4日) - 昭和8年(1933年)7月12日)は、明治から昭和初期にかけ活動した円山四条派の日本画家。本名は金右衛門。幼名は寛之助。別号に円融斎、一徹居士。竹内栖鳳と共に、近代京都画壇を代表する画家である。

山元春挙(やまもと しゅんきょ、1872年1月4日 – 1933年)は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、近代京都画壇を代表する存在の一人です。円山四条派の伝統を継承しつつ、西洋絵画や写真技術を取り入れた革新的な風景表現で知られています。

生涯と経歴

山元春挙は滋賀県大津市(旧・膳所町)に生まれました。幼少期に近江商人の家へ養子に出されましたが、絵への情熱を捨てきれず、生家に戻り画家の道を志します。11歳で京都の四条派の画家・野村文挙に師事し、「春挙」の号を授かりました。その後、「明治の応挙」と称された森寛斎にも学び、竹内栖鳳と並び称される存在となりました。


1917年(大正6年)には帝室技芸員に任命され、名実ともに京都画壇の中心的存在となりましたが、1933年(昭和8年)、病に倒れ急逝しました。

作風と代表作

山元春挙の作品は、力強く壮大な画風と華やかな色使いが特徴です。写真や科学技術に興味を持ち、油彩画の技法に着目するなどしながら、ダイナミックで華麗な風景画を得意としました。特に、当時としては珍しいカメラを活用した取材から生み出された風景表現は、春挙芸術の真髄と言えるでしょう。

代表作には以下のような作品があります:

《山上楽園》(1922年):高山の花草世界を描いた作品で、雲煙に包まれた山頂や色とりどりの花々が特徴です。
《ロッキーの雪》(1905年頃):アメリカのロッキー山脈を描いた作品で、海外取材をもとに制作されました。
《春の海》(1928年):春の穏やかな海を描いた作品で、明るい色調と繊細な描写が魅力です。
《義士の面影》(1931年):赤穂浪士を題材にした作品で、歴史画としての側面も持ち合わせています。
《奥山の春》(1933年):晩年の作品で、山間の春の風景を描いています。
教育者としての功績

山元春挙は、弟子の育成にも熱心に取り組みました。彼の力量と人柄を慕った弟子たちが各地から集まり、彼のもとで学びました。その中には、後に日本画壇を代表する画家となる人物も多く含まれています。

展覧会と評価

2022年には、生誕150年を記念して、滋賀県立美術館で大規模な回顧展「生誕150年 山元春挙」が開催されました。この展覧会では、館蔵作品のほか各地の春挙の代表作が紹介され、その画業を一望することができました。


山元春挙は、伝統的な日本画の技法を基盤にしつつ、西洋の技術や表現を積極的に取り入れた革新的な画家でした。その作品は、今なお多くの人々に愛され、評価されています。