中村岳陵なかむらがくりょう

時代 昭和時代
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 中村 岳陵(なかむら がくりょう、1890年3月10日 - 1969年11月20日)は、日本画家。静岡県下田市生まれ。本名は恒吉。

中村岳陵(なかむら がくりょう、1890年3月10日 – 1969年11月20日)は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家であり、文化勲章を受章した近代日本画の重鎮です。本名は恒吉(つねきち)で、静岡県下田市の出身です。


生涯と画業の歩み
初期の修行と教育:10歳で上京し、12歳で琳派の野沢堤雨に師事、14歳で土佐派の川辺御楯に学びました。1908年に東京美術学校日本画科に入学し、1912年に首席で卒業しました。同年、第6回文展に《乳糜供養》を出品し初入選を果たしました。

日本美術院と六潮会:1914年、今村紫紅や速水御舟らと赤耀会を創立し、再興日本美術院展に《緑蔭の饗えん》を出品。翌年には《薄暮》で日本美術院同人に推挙され、以後、院展の中心作家として活躍しました。1930年には福田平八郎、山口蓬春らと六潮会を創立し、近代日本画の発展に寄与しました。

戦後の活動と受賞:戦後は日本美術院を脱退し、日展に所属。大阪四天王寺金堂の壁画制作を手がけ、1961年には朝日文化賞と毎日芸術賞を受賞。1962年には文化勲章を受章し、現代日本画壇の重鎮としてその名を刻みました。

作風と代表作
中村岳陵の作品は、琳派や大和絵の伝統技法を基礎に、西洋絵画の影響を取り入れたモダンで清新な画風が特徴です。彼の作品には、仏教画、歴史画、風俗画、風景画、花鳥画など多岐にわたる題材が見られます。


《乳糜供養》(1912年):第6回文展に出品された初入選作品で、彼の出世作となりました。
《薄暮》(1915年):日本美術院同人に推挙されるきっかけとなった作品で、彼の代表作の一つです。

《婉膩水韻》(1931年):大胆な題材で話題となり、風紀上の理由で撤去されるという事態も引き起こしました。

四天王寺金堂壁画(1959年):大阪四天王寺の金堂に描かれた壁画で、彼の集大成ともいえる作品群です。

彼の作品は、静岡県立美術館、東京国立近代美術館、三重県立美術館などに収蔵されています。

教育と後進の育成
中村岳陵は、1935年から多摩美術大学の教授を務め、若手アーティストの育成にも力を注ぎました。また、日展の運営会理事としても活躍し、日本画の発展に寄与しました。

中村岳陵は、伝統的な日本画の技法を継承しつつ、西洋絵画の要素を取り入れた独自の画風を確立しました。その作品は、現代日本画の発展に大きな影響を与え、今なお多くの人々に親しまれています。