村上華岳むらかみかがく
時代 | 昭和時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 村上 華岳(むらかみ かがく、1888年(明治21年)7月3日 - 1939年(昭和14年)11月11日)は、大正~昭和期の日本画家。 村上華岳(むらかみ かがく、1888年3月28日 – 1939年11月11日)は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、日本近代美術における精神性の高い芸術を追求した孤高の存在です。神秘的で清らかな宗教的世界観を持つ作品群は、「現代の仏画」とも称されることがあります。 【基本情報】 本名:村上 華岳(本名も同じ) 生年月日:1888年3月28日 没年月日:1939年11月11日(享年51歳) 出身地:兵庫県神戸市 師匠:竹内栖鳳(京都市立絵画専門学校に学ぶ) 活動拠点:京都を中心に、晩年は芦屋で隠棲 【画風と芸術観】 1. 初期:伝統的な日本画の習得と革新の模索 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で竹内栖鳳に学び、伝統的な日本画技法を習得。 同時に、日本画の近代化に関心を持ち、伝統美と近代的な造形感覚を融合した新しい表現を模索。 2. 中期:精神性・宗教性の強い作品へ 1920年代には仏教的精神性を強く打ち出した作品を多く手掛け、山水・人物・花鳥いずれの題材でも「清らかさ」「神聖さ」を追求。 代表作《観音菩薩像》《蓮華》などは、霊的で崇高な雰囲気を漂わせ、日本画壇に強い印象を残しました。 3. 晩年:制作からの離脱と隠遁生活 芦屋に隠棲し、世俗を離れた生活を送りながら、精神修養と自然観照の日々を過ごしました。 体調の悪化もあり、晩年はほとんど作品を制作していませんが、彼の人生そのものが「美の探求」とされた人物です。 【代表作】 《観音菩薩像》 《裸婦図》 《蓮華》(蓮の花を神秘的に描いた名作) 《六曲一双屏風 山水図》 《芦屋の松》 【評価と影響】 村上華岳は、「土田麦僊」「小野竹喬」「榊原紫峰」らとともに、京都画壇の革新を目指した国画創作協会の創立メンバーの一人です。 日本画に「精神性」と「宗教的純粋性」を持ち込んだ稀有な画家であり、単なる技巧や装飾美に留まらない、深い内面世界の表現を実現しました。 戦後の現代日本画家にも多大な影響を与え、東山魁夷などの作家にも彼の精神性が受け継がれています。 【人物エピソード】 華岳は世俗的な名誉や賞を嫌い、生涯を通じて清貧の生活を送りました。 晩年は制作を「美の完成に至らない」として自ら封印し、精神的な悟りを求める隠遁者のような生活を貫いたことで知られます。 その生き様から「現代の仙人」とも呼ばれることがあります。 |