宗星石そうせいせき

時代 大正時代
カテゴリー 絵画、書画,掛け軸
作品種別 日本画
プロフィール 南画家・対馬藩主・伯爵。名は重望、字は千里、別号に白雲山樵。経学を亀谷省軒・三島中洲、画を大倉雨村に学ぶ。東京南画会・中央南宗画会会長。貴族院議員。大正12年(1923)歿、57才。

宗星石(そう・せいせき、1855年〈安政2年〉—1923年〈大正12年〉)は、明治から大正時代にかけて活躍した南画家であり、対馬藩の最後の藩主でもある伯爵・宗重望(むね・しげもち)の雅号です。彼は政治家としても活動し、貴族院議員を務めました。


経歴と人物像
本名:宗重望(むね・しげもち)
字(あざな):千里(せんり)
号(雅号):星石、白雲山樵(はくうんさんしょう)
生没年:1855年(安政2年)生まれ、1923年(大正12年)没、享年68歳
出身:対馬藩(現在の長崎県対馬市)

宗星石は、対馬藩主としての責務を果たす一方で、文化人としても多方面で活躍しました。彼は経学を亀谷省軒や三島中洲に学び、画を大倉雨村に学ぶなど、学問と芸術の両面で深い造詣を持っていました。また、東京南画会や中央南宗画会の会長を務め、南画の普及と発展に尽力しました。

画業と作品
宗星石は、南画(文人画)の分野で高い評価を受けています。彼の作品は、自然の風景や植物を題材にしたものが多く、繊細な筆致と豊かな表現力が特徴です。代表作には「幽蘭修竹図」や「竹石図」などがあり、これらの作品は現在もオークションや美術館で見ることができます。

特に「幽蘭修竹図」は、幽玄な蘭と修竹を描いた作品で、彼の画風をよく表しています。この作品は、絹本に肉筆で描かれ、共箱(二重箱)に収められており、彼の作品の中でも特に評価が高いものの一つです 。

政治活動
宗星石は、明治維新後の華族制度において伯爵に叙され、貴族院議員としても活動しました。彼は、政治の場でも文化の振興に努め、芸術と政治の橋渡し役としての役割を果たしました。


現在の評価と遺産
宗星石の作品は、現在でも高い評価を受けており、オークションや美術館で取引・展示されています。彼の作品は、南画の伝統を受け継ぎつつも、独自の表現を追求したものであり、日本美術史において重要な位置を占めています。

また、対馬歴史民俗資料館などでは、彼の作品や関連資料が展示されており、彼の業績を後世に伝えています 。

宗星石は、政治家としての責務を果たしながら、南画家としても優れた作品を残した人物です。彼の多才な活動は、明治から大正時代の日本における文化と政治の融合を象徴するものと言えるでしょう。