右田年英みぎたとしひで

時代 大正時代
カテゴリー 絵画、書画,掛け軸
作品種別 日本画
プロフィール 右田 年英(みぎた としひで、文久3年6月17日〈1863年8月1日〉 - 大正14年〈1925年〉2月4日)とは、明治時代から大正時代にかけての浮世絵師、日本画家。ただし生年は文久2年(1862年)ともいわれる。

右田年英(みぎた としひで、1863年〈文久3年〉6月17日 – 1925年〈大正14年〉2月4日)は、明治から大正時代にかけて活躍した浮世絵師・日本画家です。本名は右田豊彦で、豊後国臼杵(現在の大分県臼杵市)に生まれました。別号に「梧斎」「晩翠楼」「一頴斎」などがあります 。


経歴と画業
14歳で上京し、洋画家の国沢新九郎や本多錦吉郎に洋画を学んだ後、1884年(明治17年)に月岡芳年に入門しました。芳年門下では、水野年方、稲野年恒とともに「芳年門下三傑」と称されました 。


1887年(明治20年)には「めさまし新聞」(後の「東京朝日新聞」)に入社し、約40年にわたり新聞小説の挿絵を手がけました。また、日清・日露戦争時には報道錦絵を制作し、戦場の様子を克明に描いた作品で人気を博しました 。


作風と代表作
右田年英は、美人画、役者絵、戦争画など多岐にわたるジャンルで活躍しました。特に、歌舞伎の演目を題材とした「名誉十八番」シリーズでは、写実的な描写と繊細な色彩で高い評価を受けています。代表作には「名誉十八番 紅葉狩」や「名誉十八番 伊勢三郎」などがあります 。


また、晩年には伝統的な錦絵の技術を後世に伝えるため、「年英随筆刊行会」を設立し、錦絵の出版に取り組みました。この活動は、浮世絵の衰退期における重要な試みとされています 。

人柄と評価
右田年英は温厚な人柄で知られ、多くの弟子を育てました。門人には鰭崎英朋や河合英忠などがいます。また、名声や地位に無欲で、家族や弟子たちとの関係を大切にした人物でした 。


彼の作品は、伝統的な浮世絵の技法を継承しつつ、洋画の写実性を取り入れた独自のスタイルで、明治から大正期の浮世絵の発展に貢献しました。現在では、彼の作品は国内外の美術館やコレクターによって高く評価されています。