長田雲堂ながたうんどう

時代 大正時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 画家。福井県生。名は彝。長崎に遊び、鉄翁祖門に南画を学ぶ。大正11年(1922)歿、74才。

長田雲堂(ながた うんどう、1849年1月 – 1922年7月13日)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本の南画家(文人画家)であり、福井県(旧・越前国)出身です。彼は「越前三堂」の一人として知られ、福井の近代美術史において重要な位置を占めています。


生涯と画業
出身地:越前国(現・福井県)
師事:
京都で日根対山や中西耕石に学ぶ
長崎で鉄翁祖門に師事し、南画の研鑽を積む
渡清:明治3年(1870年)に清国(中国)に渡り、名画や旧跡を訪ねて中国文化への理解を深めた

長田雲堂は、幼少の頃より書画を好み、15歳のときに京都に出て南画を学びました。その後、長崎で鉄翁祖門に師事し、さらに中国文化に憧れて清国に渡るなど、積極的に学びを深めました。彼の作品は、伝統的な南画の技法を基盤としながらも、独自の表現を追求しています。

作風と代表作
長田雲堂の作品は、墨の濃淡や筆致の強弱を巧みに操り、見る者に深い印象を与える南画の技法が特徴です。彼の代表作には、「柳桃飛燕図」などがあります。また、明治24年(1891年)に出版された『菊花明治撰』では、江戸菊の品種を精緻な筆致で描いており、国立国会図書館などに所蔵されています。

評価と遺産
長田雲堂は、内国勧業博覧会や日本絵画協会などで褒状を受賞し、日本美術協会や文展でも入選するなど、京都画壇で活躍しました。彼は山田介堂、長田雲堂とともに「越前三堂」と称され、福井県の近代美術史において重要な位置を占めています。

関連資料と鑑賞
長田雲堂の作品は、福井県立美術館をはじめとする美術館や、国立国会図書館のデジタルコレクションなどで鑑賞することができます。また、彼の作品はオークションや古美術市場でも取り扱われており、現在も多くの人々に親しまれています。

長田雲堂は、明治から大正時代にかけて活躍した日本の南画家であり、福井県の近代美術史において重要な位置を占めています。彼の作品は、伝統的な南画の技法を基盤としながらも、独自の表現を追求しており、現在も多くの人々に親しまれています。