望月玉泉もちずきぎょくせん

時代 大正時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 望月玉泉(もちづき ぎょくせん、天保5年6月14日(1834年7月20日) - 大正2年(1913年)9月16日)は、日本の明治から大正にかけて活躍した四条派の日本画家。本名は重岑。字は主一。通称駿三、玉泉は画号で、別号に玉溪。

望月玉泉(もちづき ぎょくせん、1834年〈天保5年〉~1913年〈大正2年〉)は、幕末から明治・大正初期にかけて活躍した日本画家で、京都画壇を代表する四条派の重鎮の一人です。花鳥画・山水画・人物画など幅広い分野に精通し、伝統的な四条派の流れを保ちながらも、時代に合わせた新たな表現を取り入れたことで知られています。

【生涯と活動】
出身地:京都府
本名:望月乙次郎
号:玉泉(ぎょくせん)
※「玉泉」は「玉のように美しい泉」を意味し、清らかで品格ある芸術を志す意図が込められたと考えられます。
師匠:
四条派の名匠・塩川文麟(しおかわ ぶんりん)に師事。
また、同門の幸野楳嶺(こうの ばいれい)とも交流があり、京都画壇の中心的人物となりました。
画風:
四条派の伝統を忠実に守りつつ、写生を重視したリアルな表現力を磨きました。
特に花鳥画では、優美で繊細な線描と、落ち着いた色調による上品な作品を多く残しました。
山水画では、気品ある構図と淡彩の美しさが光ります。
明治以降は、政府主導の絵画改良運動にも参加し、洋画の遠近法や陰影法も取り入れるなど、新しい日本画の探求にも意欲的でした。
展覧会活動:
内国勧業博覧会やパリ万国博覧会など、国内外の博覧会に作品を出品し高い評価を受けました。
京都府画学校(現在の京都市立芸術大学)の設立にも尽力し、後進の指導にも積極的に取り組みました。
【代表作】
『四季花鳥図巻』
四季折々の花鳥を繊細な筆致で描いた大作。自然への観察眼と優美な構成力が高く評価されています。
『春景山水図』
四条派の山水画の典型ともいえる作品で、柔らかな色彩と奥行きのある構図が特徴。
『孔雀牡丹図』
孔雀と牡丹という吉祥のモチーフを、豪華さと気品を併せ持つ表現で描いた作品です。
【門下生・後進への影響】
玉泉は多くの門弟を育て、京都画壇の発展に大きく貢献しました。
代表的な門弟には以下の人物がいます:
小林柯白(こばやし かはく)
山元春挙(やまもと しゅんきょ)—のちに帝室技芸員となり、近代日本画の発展に貢献。
【晩年と評価】
晩年は京都にて穏やかな生活を送りながら、制作と指導を続けました。
明治・大正という近代化の中で、日本画の伝統と革新のバランスをとり続けた作家として評価され、京都画壇の名匠として名を残しました。
1913年、大正2年に79歳で逝去。
【まとめ】
望月玉泉は、四条派の伝統的な美意識と、時代の変化に合わせた柔軟な表現を融合させた画家です。京都画壇の重鎮として、日本画の品格を守りながらも、次代の画家たちに新しい表現の道を示した存在でした。特に花鳥画の繊細な描写は、現在でも高く評価されています。