松本楓湖まつもとふうこ

時代 大正時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 松本 楓湖(まつもと ふうこ、天保11年9月14日(1840年10月9日) - 大正12年(1923年)6月22日)は幕末から大正時代の日本画家である。

松本楓湖(まつもと ふうこ、1840年10月9日~1923年6月22日)は、幕末から大正時代にかけて活躍した日本画家で、特に歴史画や人物画に優れた作品を残しました。その画風は、師である菊池容斎の影響を受けつつも、独自の写実性と構成力を持ち、明治・大正期の日本美術界に大きな影響を与えました。


生涯と画業
楓湖は常陸国河内郡寺内村(現在の茨城県稲敷市)に漢方医の家に生まれました。幼少期から絵の才能を発揮し、14歳で江戸に出て沖一峨に入門しました。その後、佐竹永海、さらに歴史画の大家である菊池容斎に師事し、歴史人物画の技法を学びました。1868年には号を「楓湖」と改め、画業に専念します。


明治15年(1882年)には、宮内省より出版された欽定教科書『幼学綱要』全7巻の挿絵を担当し、その名を広く知られるようになりました。また、読本や雑誌の挿絵も数多く手がけ、明治時代の挿絵界に大きな影響を与えました。


教育者としての功績
楓湖は自宅に「安雅堂画塾」を開き、多くの後進を育成しました。その門下生には、今村紫紅、速水御舟、小茂田青樹、高橋広湖など、後の日本美術院を支える画家たちが含まれます。彼の教育方針は「投げやり教育」とも称され、自由な発想を重んじるものでした。

主な作品と画風
楓湖の代表作には、以下のようなものがあります:


『蒙古襲来・碧蹄館図屏風』:第4回内国勧業博覧会に出品された作品で、元寇の戦いを描いた歴史画。

『楠公父子訣別図』:南北朝時代、楠木正成父子の別れの場面を描いた作品。

『花籠と幽霊』:明治8年(1875年)制作の幽霊画で、全生庵に所蔵されています。

これらの作品は、歴史的な場面や人物を題材にしつつ、写実的な描写と緻密な構成で知られています。

晩年と評価
楓湖は、文展(文部省美術展覧会)の創設当初から審査員を務め、大正8年(1919年)には帝国美術院会員に任命されました。1923年に84歳で亡くなり、東京谷中初音町の全生庵に葬られました。彼の作品は現在も多くの美術館や資料館に所蔵され、日本画の伝統と歴史を学ぶ上で重要な資料となっています。

松本楓湖は、歴史画の大家としてだけでなく、教育者としても日本美術界に多大な貢献をした人物です。その作品や教えは、今もなお多くの人々に影響を与え続けています。