田近竹邨たち‘かちくそん

時代 大正時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 南画家。大分県生。名は岩彦、竹邨は号。初め藤野桂僊に師事し、のち京都に出て田能村直入に入門する。京都に小室翠雲・山田介堂らと日本南画院を創立、後進画家の育成につとめ、大正期南画壇の発展に尽力した。文展で五回連続褒状受賞。大正11年(1922)歿、59才。

田近竹邨(たぢか ちくそん)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家で、主に**南画(文人画)**を中心に活動した人物です。彼は、中国伝来の南宗画(南画)の精神を受け継ぎながら、日本独自の詩情豊かな画風を築き上げました。

【生涯と経歴】

生年:詳細な生年月日は不明ですが、明治時代初期にはすでに画家として活動していた記録があります。
出身地:愛知県またはその周辺とされることが多いですが、明確な資料はありません。
幼少期から書画に親しみ、特に南画の詩的な表現に強く惹かれたといわれています。
■ 画業の展開
南画は、単なる写生ではなく、画家自身の心情や哲学を反映させる「文人の画」として重んじられてきました。
田近竹邨もまた、こうした文人趣味を色濃く反映した作品を多く手がけています。
彼は山水画を得意とし、理想郷的な山水風景や、詩情豊かな花鳥画などを数多く残しています。
■ 晩年
晩年まで精力的に制作を続け、書や詩文もたしなんでいました。
そのため、作品には自作の詩や漢詩が添えられることが多く、詩書画一体の南画の伝統を体現しています。
【作風の特徴】

南画(文人画)を基盤とした詩情的な作品
→ 実景よりも心象風景を重視した山水画が多く、理想郷(桃源郷)や隠逸の世界を描くことが多い。
→ 中国・宋元画の影響を受けつつ、日本的な柔らかさと余情を感じさせる画風。
淡彩と濃墨の巧みな対比
→ 墨の濃淡を自在に操り、霧が立ち込めるような幻想的な山水を描く。
→ 彩色は控えめで、淡い色彩を用いることが多い。
詩書画一体の美学
→ 作品に自詠の詩や漢詩を添え、書と画の調和を大切にする。
→ 書は流麗で、行書や草書を用いた洒脱な筆致が特徴的。
【代表的な画題】

桃源郷図
漁舟山水図
花鳥図(特に梅や蘭、竹、菊など四君子を好んで描く)
隠者高士図
※具体的な作品名は残念ながら文献にほとんど記録されていませんが、美術市場や掛け軸作品として現存しているものがあります。

【現在の評価】

美術市場では南画作品として一定の評価を受けており、書画一体となった掛軸作品が比較的多く流通しています。
大規模な美術館ではあまり取り上げられませんが、南画や文人画を好む収集家の間では根強い人気があります。