寺崎廣業てらさきこうぎょう

時代 大正時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 寺崎廣業(てらさき こうぎょう、1866年8月7日〈慶応2年6月18日〉– 1919年7月19日)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家で、歴史画や風景画を得意とした人物です。近代日本画の発展に重要な役割を果たし、帝室技芸員(現在の文化勲章に相当する名誉職)にも選ばれるなど、その功績は高く評価されています。

【生涯と経歴】

■ 幼少期・修業時代
1866年(慶応2年)、現在の秋田県秋田市に生まれる。
幼少期から絵を好み、地元の画家に師事して基礎を学ぶ。
その後、上京して本格的に絵画修業を開始し、狩野派の伝統的な技法を学ぶとともに、次第に新しい日本画の表現にも関心を持つようになります。
■ 日本美術院との関わり
1898年、岡倉天心らが設立した日本美術院に参加。
横山大観、下村観山らとともに、日本画の革新運動に携わり、伝統を重んじつつも、近代的な画面構成や色彩感覚を取り入れた新しい日本画の創造に取り組みました。
■ 帝室技芸員への任命
日本画の発展に尽力した功績が認められ、**1917年(大正6年)**には帝室技芸員に任命されました。
これは当時の芸術家にとって最高の名誉職であり、国の文化政策に関わる立場でもありました。
■ 晩年
晩年も精力的に作品を制作し続けましたが、1919年(大正8年)7月19日、肺炎のため死去。享年53歳。
【作風の特徴】

歴史画の名手
→ 日本の古代から近世までの歴史的人物や場面を、ドラマチックかつ繊細に描きました。
→ 登場人物の表情や衣装、背景の細部に至るまで緻密に描き込むことが特徴です。
風景画・山水画も得意
→ 日本各地の名勝や山水を、詩情豊かに表現しました。特に秋田県出身ということもあり、東北地方の自然を題材にした作品も多いです。
伝統と革新の融合
→ 狩野派の伝統的な技法を基盤に持ちながら、西洋画の遠近法や陰影表現を適度に取り入れた、立体感と空間表現に優れた作品を残しました。
色彩感覚
→ 落ち着いた渋みのある色調の中に、ところどころ鮮やかな色を配し、画面全体に品格を持たせる手法を得意としました。
【代表作】

『源義経図』
→ 歴史的人物・源義経を題材にした大作。歴史画の代表作のひとつです。
『山水図』
→ 日本の自然美を詩情豊かに表現した山水画。
『秋田の風景』
→ 故郷・秋田の自然を描いた作品も高く評価されています。
【評価と影響】

明治・大正期の日本画壇において、歴史画の大家としてその名を知られました。
横山大観、下村観山、菱田春草と並び称されることもありますが、特に歴史画においては一際高い評価を受けています。
その作品は現在、東京国立博物館、京都国立近代美術館などに所蔵されています。