安田米斎やすだべいさい
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 1848-1888 幕末-明治時代の画家,詩人。 嘉永(かえい)元年生まれ。福島柳圃(りゅうほ)らに文人画を,大沼枕山(ちんざん)に詩文をまなんだ。慶応3年相模(さがみ)(神奈川県)高座郡の瑞光寺の住職となり,のち神奈川県庁に勤務。内国絵画共進会などで受賞した。明治21年9月8日死去。41歳。相模出身。 **安田 米斎(やすだ べいさい)**は、幕末から明治時代初期にかけて活躍した南画家・詩人です。文人画の伝統を受け継ぎつつ、詩書画を融合させた独自の作風で知られています。 基本情報 生没年:1848年(嘉永元年)〜1888年(明治21年) 出身地:相模国(現在の神奈川県) 師匠: 福島柳圃(文人画) 大沼枕山(詩文) 職歴: 慶応3年(1867年)に相模国高座郡の瑞光寺住職に就任 後に神奈川県庁に勤務 受賞歴:内国絵画共進会などで受賞 作風と代表作 安田米斎は、南画の伝統を基盤としながらも、詩情豊かな表現を追求しました。彼の作品には、墨の濃淡を巧みに操る技法や、幽玄な雰囲気を醸し出す構図が特徴的です。 代表作:『子育幽霊図』 所蔵:福岡市博物館 制作年:明治19年(1886年) 特徴: 乳飲み子を抱いた幽霊を、軽妙な筆致と墨色で描写 前歯が飛び出た幽霊の表現には、円山派の影響が見られる 「米斎墨戯」の朱文楕円印が押されている 現存作品と評価 安田米斎の作品は、現在もいくつかの美術館や旧家に所蔵されています。例えば、神奈川県茅ヶ崎市の旧和田家住宅には、彼が描いた襖絵が残されており、明治19年の作品とされています。 彼の作品は、南画の伝統を守りつつも、独自の詩情と技法を融合させた点で評価されています。また、詩書画を一体とした文人画の理想を体現しており、明治期の南画家として重要な存在とされています。 安田米斎の作品や関連資料についてさらに詳しく知りたい場合は、福岡市博物館や茅ヶ崎市文化資料館などの所蔵先にお問い合わせいただくと、より詳細な情報が得られるかもしれません。 |