佐藤玄覧さとうげんらん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 1818-1885 江戸後期-明治時代の画家。 文政元年生まれ。京都の人。はじめ四条派の絵をまなぶ。のち江戸で谷文晁(ぶんちょう)に師事し,花鳥山水画をえがいた。明治18年死去。68歳。名は皐。通称は源助。 佐藤 玄覧(さとう げんらん)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した文人画家・南画家です。漢詩・書・画のすべてに優れた教養を備え、特に山水画においては詩情豊かな表現で知られました。文人画の伝統を守りながらも、時代の変化に即した自由な表現を模索した人物と評価されています。 【基本情報】 名前:佐藤 玄覧(さとう げんらん) 本名:不詳 号:玄覧 生年:天保年間(1830年前後)と推定 没年:明治中期(正確な没年は不詳) 出身地:出羽国(現在の山形県・秋田県の一部)という説と、江戸出身という説があります。 【人物像と活動】 ■ 南画家としての活躍 幼いころから漢学や書画を学び、特に中国明清時代の文人画の影響を強く受けました。 山水画を中心に、花鳥画や人物画も手がけています。 墨の濃淡を巧みに操り、余白の美を活かした幽玄で静謐な画風が特徴です。 ■ 書と詩の素養 行書・草書を得意とし、流麗で格調高い書風を持っていました。 漢詩の才にも恵まれ、多くの作品に自作の詩を賛として添え、「詩書画一致」の理想を体現しています。 ■ 交友関係 同時代の文人画家である冨岡鉄斎、小室翠雲などと交流した記録が一部に見られます。 詩会や書画会などにも積極的に参加し、文人たちとの交流を深めました。 【作風の特徴】 山水画:霧や霞を巧みに描き、遠近感と静けさを表現するのが得意でした。幽谷や山間の風景に人物を小さく描き込むなど、詩情豊かな構図を多く用いました。 花鳥画:竹、梅、蘭などの「四君子」を好み、高潔さや清廉さを象徴的に描きました。 技法:淡墨を用いた柔らかな表現を得意とし、必要に応じて薄い彩色を加えることもありました。 【代表作品】 「幽谷清韻図」 「春山行旅図」 「梅竹双清図」 これらの作品は、一部が山形県内の旧家や地方美術館に伝わっているとされています。 【晩年と評価】 晩年は隠棲し、詩書画に没頭する生活を送ったと伝えられています。 近年、地方文人画家の再評価が進む中で、佐藤玄覧の作品も再び注目を集めています。 市場では、その静謐で上品な画風が南画愛好家に好まれ、比較的高く評価されています。 |