藤井松林ふじいしょうりん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 幕末・明治の画家。備後福山藩士。名は好文。京都に出て中島来章に師事、円山派を学んだ。花鳥・人物・山水いずれにも秀で、同門の後進となった幸野楳嶺・川端玉章も松林に兄事した。明治27年(1894)歿、71才。 藤井松林(ふじい しょうりん、1824年 – 1894年)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家で、備後福山藩(現在の広島県福山市)出身です。名は好文(こうぶん)、字は士郁(しいく)、別号に清遠(せいえん)、百斎(ひゃくさい)などがあります。彼は円山四条派の画風を継承し、花鳥画、山水画、人物画など幅広い題材を手がけました。 生涯と画業 藤井松林は、福山藩士・藤井小右衛門の長男として福山城下長者町に生まれました。幼少期から画才を示し、14歳で福山藩から絵師の加勢を仰せ付けられ、高田杏塢や吉田東里に画の手ほどきを受けました。その後、京都に出て円山派の中島来章に師事し、さらに和歌を大国隆正、松本良遠に、漢籍を三好一学に学びました。安政6年(1859年)には御勘定所詰本役、御絵図師兼役となり、藩政においても重要な役割を果たしました。 明治時代に入ってからも、内国勧業博覧会に出品し、第3回内国勧業博覧会では「藤花小禽図」が三等妙技賞を受賞するなど、画家としての評価を高めました。また、宮内省にも作品を献納し、その名声を確立しました。 作風と代表作 藤井松林の作品は、写実的な描写と繊細な筆致が特徴で、花鳥画、山水画、人物画など多岐にわたります。特に、以下の作品が代表作として知られています: 游鯉図:縦約227cm、横約151cmの大作で、5尾の鯉が遊泳する様子を描いた作品。円山応挙を凌駕する筆致と評されています。 百福図:100人の多福を多様な姿で描いた作品で、「北斎漫画」に匹敵する画技の豊かさが評価されています。 山猿図:明治26年(1893年)元旦に描かれた作品で、画賛には自身を山猿にたとえた辞世の句が記されています。 また、明治24年(1891年)から足かけ3年かけて完成させた、尾道の浄土寺の方丈や庫裏の障壁画、襖絵なども彼の集大成として評価されています。この作品群は、浄土寺が「松林寺」とも呼ばれる所以となっています。 門人と影響 藤井松林は多くの門人を育て、その画風は後世に受け継がれました。主な門人には、若林松谿、羽田桂舟、水野文華、藤井松山などがいます。これらの門人たちは、京都や大阪などで活躍し、藤井松林の画風を広めました。 現在の評価と作品の流通 藤井松林の作品は、現在も掛軸や画集などとして流通しており、オークションサイトなどで取引されています。作品の価格は、状態や題材、サイズなどによって異なりますが、平均的には2,000円前後で取引されることが多いようです。 また、彼の作品は長良川画廊などの美術商でも取り扱われており、鑑定や買取の対象となっています。特に、代表作や保存状態の良い作品は高値で取引されることがあります。 藤井松林は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家で、円山四条派の画風を継承し、多くの優れた作品を残しました。彼の作品は現在も評価されており、芸術的価値の高いものとして扱われています。興味がある方は、オークションサイトや美術商などで彼の作品を探してみると良いでしょう。 |