高橋応真たかはしおうしん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 日本画家。江戸生。田安藩士高橋栄賢の長男、弟は円山派の画家高橋玉淵。別号に翠岳、通称善之介。初め画を松本楓湖に、服部波山に漢籍を学ぶ。次いで山本素堂・山本琴谷に画を学び、のち柴田是真に師事して同門の池田泰真・綾岡有真らと是真十哲(四天王とも)の一人に数えられる。内国絵画共進会・パリ万国博覧会など国内外の共進会や博覧会で活躍。日本美術協会審査員。明治34年(1901)歿、47才。 高橋応真(たかはし おうしん、1855年11月20日 – 1901年7月12日)は、明治時代に活躍した日本画家で、花鳥画や人物画を得意としました。彼は松本楓湖および柴田是真に師事し、是真門下の四天王の一人として知られています 。 生涯と画業 高橋応真は、武蔵国(現在の東京都台東区)で田安家の家士・高橋栄賢の長男として生まれました。9歳で松本楓湖の門下となり、翠岳の号を称しました。その後、服部波山に漢画を学び、師の勧めで鑑画会の研究会にも参加しました。明治15年(1882年)の第1回内国絵画共進会に作品を出品し、賞を受けたことを皮切りに、翌年の第1回パリ日本美術縦覧会にも作品を出品しました。明治17年(1884年)の第2回内国絵画共進会でも賞を得ており、明治19年(1886年)の第2回鑑画会では「芥子花図」が四等賞を受賞しています 。 その後、柴田是真に入門し、「応真」の号を授かりました。是真門下では池田泰真らとともに「十哲」と称されるなど、その才能を開花させました。明治24年(1891年)には、日本青年絵画協会の結成に参加し、新しい日本画の模索にも取り組みました。明治31年(1898年)の第5回絵画共進会や、明治33年(1900年)のパリ万国博覧会にも作品を出品し、それぞれ受賞しています。明治34年(1901年)7月12日に下根岸の自宅で食中毒により没し、東京下谷の谷中墓地に葬られました。享年46歳でした 。 作品と評価 高橋応真の作品は、花鳥画や人物画を中心に展開され、繊細な筆致と色彩感覚が特徴です。彼の作品「双幅 春夏草花図」は、絹本に彩色で描かれたもので、春と夏の草花が精緻に表現されています。この作品は現在、京都・祇園の新古美術 朝比奈で紹介されています 。 また、彼の作品「笹之雪書画帖」には、牡丹図や草花の図が描かれており、その技術と美的感覚が評価されています 。 高橋応真は、明治時代の日本画壇において重要な役割を果たした画家であり、その作品は現在でも高く評価されています。彼の画業や作品に興味がある場合は、上記の美術館やギャラリーを訪れることで、実際に作品を鑑賞することができます。 |