早瀬来山はやせらいざん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 1808-1890 江戸後期-明治時代の画家。 文化5年生まれ。早瀬蘭川の子。越前(えちぜん)(福井県)の人。はじめ父に,のち京都の松村景文,岡本豊彦らにまなぶ。郷里にかえり,福井東別院の壁画「大舜耕作図」,西別院白書院の襖(ふすま)絵「孔雀(くじゃく)図」などをかいた。明治23年2月5日死去。83歳。名は鴻。字(あざな)は子漸。別号に晩翠,懶僊(らんせん)。 早瀬来山(はやせ らいざん、1808年〈文化5年〉生まれ、1890年〈明治23年〉2月5日没)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した日本画家です。福井県(旧越前国)出身で、父である早瀬蘭川も画家として知られています。来山は、父のもとで画を学んだ後、京都に出て松村景文や岡本豊彦といった四条派の著名な画家に師事しました。 経歴と画風 早瀬来山は、京都での修行を終えた後、郷里の福井に戻り、地元の寺院や町家の装飾画を多く手がけました。代表作には、福井東別院の壁画「大舜耕作図」や、西別院白書院の襖絵「孔雀図」などがあります。彼の画風は、四条派の影響を受けつつも、柔らかく温雅な筆致が特徴で、花鳥画や山水画に優れた作品を残しています。 人物と号 本名は「鴻(こう)」で、字(あざな)は「子漸(しぜん)」、別号として「晩翠(ばんすい)」や「懶僊(らんせん)」を用いていました。これらの号は、彼の作品に落款として見られることがあります。 弟子と影響 早瀬来山は、地元福井で後進の指導にも力を注ぎました。彼の弟子には、明治から大正期にかけて活躍した菱川師福(1845–1941)がいます。師福は、福井の奇祭「馬威し」を題材にした作品で知られ、来山の画風を受け継ぎつつ独自の表現を展開しました。 現在の評価と作品の所在 早瀬来山の作品は、現在も古美術市場やオークションで取引されており、掛け軸や扇面画などが確認されています。また、飯田市美術博物館などの美術館にも所蔵されており、彼の作品を通じて江戸から明治にかけての日本画の流れを学ぶことができます。 早瀬来山は、地方画家としては珍しく、京都での修行を経て地元に戻り、地域文化の発展に寄与した画家として評価されています。彼の作品は、四条派の技法と地方色が融合した独自の魅力を持ち、今なお多くの人々に親しまれています。 |