藤田呉江ふじたごこう

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 1828*-1885 幕末-明治時代の儒者,日本画家。
文政10年11月21日生まれ。越中富山藩士。江戸で藤森弘庵(ふじもり-こうあん)にまなび,藩校広徳館教授となる。維新後は狩野派,文人画をまなび,絵画共進会審査官となった。明治18年5月22日死去。59歳。名は憲。字(あざな)は憲章。

藤田呉江(ふじた ごこう、1828年 – 1885年)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の文人画家・儒学者であり、越中国(現在の富山県)出身の富山藩士です。名は憲、字は憲章といい、幼少期から学問を好み、江戸で藤森天山に師事して学問を修めました。

経歴と学問的背景
藤田呉江は、富山藩士の家に生まれ、幼い頃から学問に親しみました。江戸に上京して藤森天山の門下となり、儒学を学びました。その後、藩校「広徳館」の教授に任じられ、教育に尽力しました。

画業と作風
藤田呉江は、画家としても活動し、当初は狩野派の画法を学びましたが、後に南画(文人画)に転じました。彼の作品は、墨の濃淡や筆致を活かした山水画や花鳥画が特徴で、詩情豊かな作風が評価されています。明治17年(1884年)には、東京で開催された絵画共進会の審査官を務めるなど、画壇でも一定の地位を築きました。

作品例と評価
藤田呉江の作品は、現在も一部が残されており、オークションや美術展で見ることができます。例えば、「梅竹素交図」や「山水図」などが知られており、繊細な筆致と詩情豊かな構図が評価されています。

晩年と遺産
明治18年(1885年)、藤田呉江は59歳で亡くなりました。彼の遺した作品や教育活動は、富山の文化史において重要な位置を占めています。また、彼の作品は現在も一部が残されており、オークションや美術展で見ることができます。

関連情報
富山藩人物帖 藤田呉江:富山市立博物館の「博物館だより」第48号に、藤田呉江に関する記事が掲載されています。

稲垣碧峰ら幕末・明治期の富山の南画家:UAG美術家研究所のウェブサイトに、藤田呉江を含む富山出身の南画家に関する情報が掲載されています。

藤田呉江は、幕末から明治時代にかけての日本において、学問と芸術の両面で活躍した人物であり、その作品や教育活動は、現在も評価されています。彼の作品を通じて、当時の文人画の魅力を感じることができます。