佐久間雲窓さくまうんそう
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 佐久間雲窓(さくま うんそう、1801年 – 1884年)は、江戸時代後期から明治時代中期にかけて活躍した日本の画家であり、長野県飯山市にゆかりのある人物です。通称は伴右衛門(ばんえもん)といい、飯山藩の藩士として仕えながら、南画(文人画)の分野で優れた作品を残しました。 経歴と画業 佐久間雲窓は、29歳のときに藩主・本多家に従って江戸に出て、本格的に絵の修行を始めました。当初は南画の大家・谷文晁の門下である鏑木雲譚(うんたん)に師事し、花鳥画を学びました。その後、渡辺崋山の推薦を受け、椿椿山のもとでさらに研鑽を積みました。師・雲譚の一字をもらって「雲窓」と号しました。 修行を終えた後、郷里の飯山に戻り、藩士としての公務のかたわら、身の周りの風物を描き続けました。彼の作品は、奇をてらわない忠実な写実画法で描かれた鳥や植物が特徴で、観る者に新鮮な印象を与えます。特に花鳥画において、その真骨頂を発揮しました。 人物像と逸話 佐久間雲窓は、飯山藩の吟味役を務めていましたが、藩主・本多家から優遇され、比較的自由な立場であったと伝えられています。また、戊辰戦争の際には、自らが率いた部隊の砲声一発から飯山戦争が始まったという逸話もあり、個性的な人物であったことが窺えます。 遺産と顕彰 佐久間雲窓の作品は、現在も多く残されており、飯山市美術館などで展示されています。2019年には、飯山市美術館で「佐久間雲窓展」が開催され、花鳥画による六曲一双屏風を四双同時に展示するなど、その芸術性が再評価されています。 佐久間雲窓は、江戸時代後期から明治時代中期にかけて活躍した画家であり、南画の分野で優れた作品を残しました。その写実的な画風と、藩士としての活動を両立させた生涯は、現在も多くの人々に影響を与えています。 |