土佐光文とさみつぶみ
時代 | 明治時代 |
---|---|
カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 幕末・明治の日本画家。京都生。土佐光孚の次男。土佐派第二十二代幼名は延丸、字は子炳、別号に韓水。土佐光禄の養子。画所預となり、安政度内裏造営御用などしばしば官命を受け、幕末期に従四位下備前守となった。東山春秋画会に参加し、解散後は中島来章・塩川文麟らと如雲社を創設、土佐派末期を代表する画家として活躍した。明治12年(1879)歿、68才。 土佐光文(とさ みつぶみ/みつあや、1812年〈文化9年〉5月6日 – 1879年〈明治12年〉11月9日)は、江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した日本画家で、土佐派第23代当主です。彼は伝統的な大和絵を継承しつつ、明治期の新たな美術動向にも関与し、日本画の近代化に貢献しました。 生涯と経歴 出自と家系:土佐光孚の次男として京都に生まれ、後に本家の土佐光禄の養子となり、土佐派宗家を継承しました 。 官職と称号:朝廷の絵所預(えどころあずかり)として内裏造営に従事し、安政2年(1855年)の内裏造営では画工頭を務めました 。また、慶応2年(1866年)には従四位下・備前守に叙任されました 。 如雲社の設立:明治初期には、中島来章や塩川文麟らと共に画家団体「如雲社」を設立し、京都画壇の発展に寄与しました 作風と代表作 土佐光文は、伝統的な大和絵の技法を継承しつつ、写実的な描写や西洋画の技法も取り入れ、近代日本画の基礎を築きました。彼の作品は、繊細な筆致と華やかな色彩が特徴で、人物画や花鳥画、山水画など多岐にわたります。 代表作: 「朧月落花帰雁之図」:春の情景を描いた作品で、華やかで瑞々しい生命力を感じさせます。 「富士 秋景山水図」:秋の富士山を背景にした山水画で、色彩豊かな表現が特徴です。 「天神図」:菅原道真を描いた肖像画で、学問の神としての威厳が表現されています。 これらの作品は、現在も美術館やオークションなどで鑑賞・収集が可能です。 門下生と影響 土佐光文の門下からは、川辺御楯や川崎千虎などの画家が育ち、彼の画風や技法は次世代へと受け継がれました。また、彼が設立に関与した如雲社は、京都画壇の中心的存在となり、多くの画家たちの交流と研鑽の場となりました。 土佐光文は、伝統的な大和絵の継承者としてだけでなく、明治期の新たな美術動向にも積極的に関与し、日本画の近代化に大きく貢献しました。彼の作品や活動は、現在も日本美術史において重要な位置を占めています。 |