田中抱二たなかほうじ

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 幕末・明治の日本画家。江戸生。通称は金兵衛、別号に軽挙。酒井抱一の門。幕府御用達。明治18年(1885)歿、73才。

田中抱二(たなか ほうじ、1815年〈文化12年〉–1885年〈明治18年〉)は、江戸後期から明治時代にかけて活躍した日本画家で、江戸琳派の代表的な画家の一人です。酒井抱一の門人として、同門の「四天王」の一人に数えられました。

生涯と背景
田中抱二は、1815年に江戸の両替町で生まれました。通称は金兵衛、名は真昌。別号に青々庵(せいせいあん)、鶯居(おうきょ)などがあります。父は質商を営んでおり、裕福な家庭に育ちました。13歳のときに酒井抱一に入門し、17歳で師が没するまでの4年間、直接指導を受けました。その後も抱一の画風を継承し、江戸琳派の発展に寄与しました。

作風と作品
田中抱二は、抱一の画風を忠実に継承しつつ、独自の表現を加えました。特に花鳥画や風俗画に優れ、繊細な筆致と豊かな色彩感覚で知られています。彼の作品は、琳派の装飾性と写実性を融合させたもので、四季折々の自然や人々の生活を詩情豊かに描いています。

代表作には、「四季花草図」や「福禄寿図」などがあり、現在も古美術市場で取引されています。また、千葉市美術館には、彼の写生帖や縮図類が所蔵されており、2014年の展覧会「画人たちの1万時間」で展示されました。

晩年と影響
足が悪かったため、向島に隠居し、静かな生活を送りながら創作活動を続けました。明治時代には、ウィーン万国博覧会やフィラデルフィア万国博覧会、第1回内国絵画共進会などに出品し、国内外で評価を受けました。弟子には泉梅一が、孫には画家の田中克二がいます。

田中抱二は、江戸琳派の伝統を守りながらも、新たな表現を追求した画家です。その作品は、現在も美術館や古美術市場で鑑賞することができ、日本画や琳派に興味のある方にとって、注目すべき画家の一人です。