羽倉可亭はくらかてい

時代 明治時代
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 羽倉 可亭(はくら かてい、男性、寛政11年(1799年) – 明治20年(1887年)8月12日)は、江戸時代後期の日本の書画家・篆刻家である。
名は良信、字は子文、号は可亭の他に亦可草堂がある。

羽倉可亭(はくら かてい、1799年〈寛政11年〉3月16日 – 1887年〈明治20年〉8月12日)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した日本の書画家・篆刻家です。名は良信、字は子文、号は可亭のほか、亦可草堂(またはそうどう)などを用いました。京都伏見稲荷大社の神職の家系に生まれ、幼少期より儒学や書、画、篆刻を学びました。特に篆刻においては、明治維新後に宮内省の命で御璽を刻し、山水画も描くなど、多方面で才能を発揮しました。また、有栖川宮熾仁親王の寵遇を受けるなど、宮廷との関わりも深かったとされています。

可亭の作品は、東京芸術大学大学美術館に山水図などが収蔵されており、また、古河市の篆刻美術館にも印譜が所蔵されています。

彼の作品は、現在でもオークションや展覧会で見ることができ、篆刻や書画に興味のある方にとって、貴重な資料となっています。