斎藤畸庵さいとうきあん

時代 明治時代
カテゴリー 絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 幕末・明治の画家。但馬生。通称は仲醇、字は伯淳、別号を暁庵。中林竹洞に師事。詩・書画を能くし、特に山水・竹石に巧みであった。明治16年(1883)歿、79才。

斎藤畸庵(さいとう きあん、1805年 – 1883年)は、幕末から明治初期にかけて活躍した日本の文人画家で、兵庫県豊岡市城崎町の旅館「伊勢屋」に生まれました。本名は淳(じゅん)、字は仲醇(ちゅうじゅん)、幼名は小太郎(のちに文之助)で、別号に息軒(そっけん)などがあります。

作風と特徴
畸庵は山水画を得意とし、墨と淡彩を用いた繊細で詩情豊かな作品を多く残しました。彼の作品には自作の漢詩が添えられることが多く、視覚と文学の融合を図った表現が特徴です。特に、滝の音や虫の声など、自然の音を詩に詠み込むことで、静寂の中に豊かな情景を描き出しています。

旅と創作
畸庵は生涯を通じて各地を旅し、阿蘇山や英彦山などの名山を訪れ、その風景を作品に取り入れました。また、旅先で中国絵画の収集家を訪ね、模写や交流を通じて技術を磨きました。代表作の一つである《天池石壁図》(1864年)は、中国・元代の画家黄公望の作品を模写したもので、奈良県の談山神社で原本を模写した可能性があります。

聴覚障害と表現
畸庵は聴覚に障害があったとされ、その影響が作品にも表れています。音を直接聞くことができなかった彼は、視覚や想像力を駆使して自然の音を詩や絵に表現しました。その結果、彼の作品には独特の静謐さと詩的な感性が宿っています。

展示と評価
兵庫県立歴史博物館では、畸庵の作品を紹介する展覧会が開催されており、彼の詩と絵画の融合した作品が展示されています。また、彼の作品は障害者芸術作品巡回展にも参加し、多くの人々に親しまれています。

斎藤畸庵は、旅を通じて自然と向き合い、詩と絵を融合させた独自の表現を追求した画家です。彼の作品は、今も多くの人々に感動を与え続けています。