山本琴谷やまもときんこく
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 絵画、書画,掛け軸 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 幕末の画家。石見国生。津和野藩士吉田芳右衛門の子。幼少の頃より絵事を好み、同藩の老職多胡逸斎、のち渡辺崋山に学ぶ。明治6年(1873)歿、63才。 山本琴谷(やまもと きんこく、1811年〈文化8年〉– 1873年〈明治6年〉)は、江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した南画家であり、津和野藩(現在の島根県)に仕えた藩絵師です。その画業は、人物画や山水画において高い評価を受け、幕末から明治初期の日本画壇において重要な役割を果たしました。 生涯と画業 山本琴谷は、石見国津和野(現在の島根県津和野町)に生まれました。本姓は吉田、名は謙、字は子譲。幼名は幾英で、後に幽谷、杉亭、癡々斎、そして琴谷と号を改めました。津和野藩士吉田芳右衛門の子として生まれ、のちに山本幾連の名跡を継いで山本姓を名乗りました。 幼少の頃より絵事を好み、津和野藩家老で渡辺崋山とも親交のあった多胡逸斎に絵を学びました。その後、江戸に出て桜間青崖に師事し、さらに渡辺崋山の門に入り山水や人物画を学びました。崋山の没後は、高久靄崖や椿椿山にも学び、画技を磨きました。 嘉永6年(1853年)には津和野藩の絵師となり、藩の文化活動に貢献しました。明治維新後は東京両国に移住し、明治6年(1873年)に信州上田からの帰途に病没しました。享年63歳でした。 作風と代表作 山本琴谷の作品は、南画の伝統を受け継ぎつつも、独自の表現を追求したもので、人物画や山水画を得意としました。彼の作品は、現在も古美術市場で高い評価を受けており、掛け軸や画集などが取引されています。 代表作としては、絹本着色による「年中行事戯画」や「青緑」などがあり、これらの作品は古美術市場で高い評価を受けています。また、静岡県立美術館には、彼の作品「無逸図」(1869年作)が所蔵されています。 現在の評価と展覧会 山本琴谷の作品は、現在も古美術市場で高い評価を受けており、掛け軸や画集などが取引されています。例えば、彼の画集『半渓の南画』は限定500部で発行され、古書市場で入手可能です。また、彼の掛け軸作品もオークションサイトなどで取引されており、価格は数万円から数十万円に及ぶこともあります。 2023年には、島根県立石見美術館にて「山本琴谷と津和野藩の絵師たち」展が開催され、彼の作品が多数展示されました。この展覧会では、新作60点を含む100点余りの作品が展示され、多くの来場者から高い評価を受けました。 山本琴谷は、幕末から明治初期にかけての日本画壇で活躍した南画家であり、その作品は現在も多くの人々に愛されています。彼の作品を鑑賞することで、当時の日本画の美しさや技法を感じることができるでしょう。 |