吉田公均よしだこうきん

時代 明治時代
カテゴリー 絵画、書画,掛け軸
作品種別 日本画
プロフィール 幕末・明治の画家。越中新田郡生。通称は平吉、江上漁夫と号する。幼時より画を好み、松村景文・紀広正に師事した。人物・花卉を能くする。のち貫名菘翁に学び、専ら山水を描き画風が一変した。明治9年(1876)歿、73才。

吉田公均(よしだ こうきん、1804年〈文化元年〉– 1876年〈明治9年〉)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した日本画家で、四条派に属する絵師です。通称は平吉、嘉十郎。初号は広均、別号に田均、江上外史、江上漁者などがあります。

生涯と画業
吉田公均は、越中国新川郡江上村(現在の富山県中新川郡上市町江上)の農家に生まれました。幼少期から画才を発揮し、12歳の時に京都に出て絵画の修行を始めました。当初は宮廷画家の紀広成に師事し、広成の没後は書家で南画家の貫名海屋、四条派の松村景文に学びました。また、中国絵画の白描法や没骨法なども研究しました。

安政3年(1856年)に京都御所が新築された際には、御殿の扉や襖に花鳥画を描き、一躍名を知られるようになりました。明治維新後は東京に移住し、東京の四条派として多くの作品を残しました。

作風と代表作
吉田公均は、花鳥画や山水画を得意とし、四条派の伝統を受け継ぎながらも、南画の要素を取り入れた作品を多く残しました。代表作には、富山市立郷土博物館に所蔵されている「金碧西園雅集図」などがあります。

現在の評価と取扱い
吉田公均の作品は、現在も古美術市場で高い評価を受けており、掛け軸や屏風などが取引されています。例えば、「観音図」や「蓬莱山図」などの作品が販売されており、価格は数十万円から数百万円に及ぶこともあります。また、模写作品も多く出回っており、ヤフーオークションなどで取引されています。

吉田公均は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての日本画壇で活躍した画家であり、その作品は現在も多くの人々に愛されています。彼の作品を鑑賞することで、当時の日本画の美しさや技法を感じることができるでしょう。