目賀田介庵めがたかいあん

時代 江戸後期・明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画 師・谷文晁
プロフィール 目賀田 介庵(めがた かいあん、文化10年(1813年) - 明治13年(1880年)4月27日)は幕末から明治期の南画家。
名は守道・宇隆、字を隆・士蝶。号は介庵(芥庵とも)・文村・介翁・望岳楼。通称は小兵衛・帯次郎。江戸の生まれ。

目賀田 介庵(めがた かいあん)は、幕末から明治時代にかけて活躍した南画家(文人画家)・書家です。詳細な生没年は不明ですが、江戸時代後期から明治初期にかけて活発に活動していたと考えられます。

【基本情報】
名 前:目賀田 介庵(めがた かいあん)
別 号:介庵(かいあん)
活動時期:幕末〜明治初期
分 野:南画(文人画)、書
【人物背景】
目賀田氏は、元は武家あるいは名家の家系とされ、学問や芸術に造詣が深い一族に生まれた可能性があります。
幕末から明治にかけての社会変革期において、学者や文人との交流が盛んだった人物と考えられています。
名乗った「介庵」という号は、「介」は「間に立つ」「世の中を調整する」などの意味を持ち、「庵」は隠棲的で静寂な暮らしを象徴する語です。このことから、俗世から距離を置き、清貧を好む文人的な気質がうかがえます。
【作風と特徴】
■ 南画(文人画)

山水画
墨の濃淡を巧みに使い、簡潔ながら余韻を残す表現を得意としました。
壮大な景観よりも、身近な田園風景や静謐な山村を描いた作品が多く見られます。
伝統的な中国南宗画の影響を受け、「三遠法」による構図も見られます。
花鳥画
梅、竹、蘭、菊など「四君子」を好んで描き、清雅な筆致で知られています。
墨のにじみやかすれを活かした味わい深い表現が特徴です。
■ 書作品

漢詩や自作の詩文をしたためた書画一体の作品が多く残されています。
行書や草書を中心に、柔らかく流れるような運筆が特徴です。
書にも清雅な美意識が貫かれ、余白の取り方にも高い美的感覚が表れています。
【活動歴】
幕末の動乱期には、藩士や文人との交流を深めつつ、学問や芸術を志す人々の私塾的な場を開いていた可能性があります。
明治期に入ってからは、時代の変化に伴い、自由な文人生活を送りつつ、書画作品を制作し、個人注文や贈答品として多くの作品を残しました。
【現在の評価と市場動向】
巨匠とまではいかないものの、文人趣味を重んじる骨董コレクターの間では一定の人気があります。
山水画や花鳥画の掛け軸は、状態や落款によって数万円から十数万円で取引されることが多いです。
書画一体となった作品や「四君子」を題材にした作品は特に評価が高いです。
【落款・印章】
落款は「介庵」「目賀田介庵」などと記され、印章には「介庵」「清風堂」「目賀田」などの雅号が見られます。
朱文印や白文印を場面によって使い分け、構図の中でバランスの取れた美しい押印が特徴です。