池田雲樵いけだうんしょう
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 南画家。名は政敬、字は公維、半仙と号する。前田暢堂・中西耕石に画を学ぶ。津藩に仕えるが、のち京都に出、京都画学校教授となる。明治19年(1886)歿、63才。 池田雲樵(いけだ うんしょう、1825年〈文政8年〉10月4日 – 1886年〈明治19年〉6月30日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本画家・書家です。伊賀国(現在の三重県)出身で、名は政敬(まさたか)、字(あざな)は公維(こうい)、号は雲樵(うんしょう)や半仙(はんせん)などを用いました。 経歴と師事 池田雲樵は、伊勢津藩の絵師として活動し、南画(文人画)の大家である中西耕石や前田暢堂に師事しました。その後、明治13年(1880年)には京都府画学校(現・京都市立芸術大学)の文人画教授に就任し、後進の育成にも尽力しました。 作風と作品 雲樵の作品は、南画の伝統を受け継ぎつつも、独自の表現を追求した点が特徴です。代表作には「松林読書」「威振八荒」などがあり、山水画や花鳥画、書画など多岐にわたる作品を残しています。特に、雪舟を思わせるような力強い筆致と繊細な描写が評価されています。 現存作品と市場での評価 池田雲樵の作品は、現在も掛軸や書画帖として市場に出回っており、オークションなどで取引されています。例えば、「山水赤壁図」や「清渓緑樹蔭」などの作品が確認されており、その芸術的価値は高く評価されています。 池田雲樵は、幕末から明治時代にかけての日本画壇において、南画の伝統を継承しつつも独自の表現を追求した画家として知られています。その作品は、現在も多くの人々に愛され、鑑賞されています。 |