結城正明ゆうきまさあき
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 1840-1904 幕末-明治時代の日本画家,銅版画家。 天保(てんぽう)11年1月15日生まれ。狩野雅信(まさのぶ)の門人。江戸城本丸障壁画の制作にくわわる。維新後,銅版画をまなぶ。フェノロサの鑑画会などで活躍。明治24年東京美術学校(現東京芸大)助教授。明治37年3月6日死去。65歳。越中(富山県)出身。本姓は壺川。作品に「飲中八仙」「矢矧(やはぎ)橋」など。 結城正明(ゆうき まさあき、1834年 – 1904年)は、明治時代の日本画家・銅版画家であり、近代日本美術の発展に大きく貢献した人物です。彼は狩野派の伝統を受け継ぎつつ、西洋美術の技法を積極的に取り入れ、新たな表現を追求しました。 経歴と芸術活動 出生と修業時代:1834年、越中国富山柳町(現在の富山市柳町)に加賀藩士の子として生まれました。19歳で江戸に上り、狩野勝川院雅信に入門し、狩野派の絵師としての修業を積みました。 銅版画への転向:明治維新後、狩野派の衰退に伴い、結城は銅版画の技術を習得しました。明治10年の第1回内国勧業博覧会に出品した「ヒポクラテス像」は、当時としては非常に写実的で高い評価を受けました。 地図制作への貢献:結城は銅版画の技術を活かし、「大日本全図」や「千葉県管内実測図」などの地図制作にも携わり、明治期の地図制作に大きな功績を残しました。 教育者としての役割 東京美術学校での教鞭:明治21年、東京美術学校(現・東京藝術大学)の開校に伴い、日本画科の教官に任命されました。彼の教え子には、横山大観や菱田春草など、後に日本画壇を代表する画家たちがいます。 画塾の開設:自宅で画塾を開き、美術学校受験を目指す学生たちに指導を行いました。この画塾は、当時の美術教育において重要な役割を果たしました。 主な作品と特徴 「ヒポクラテス像」:明治10年に制作されたこの銅版画作品は、当時の日本における西洋写実主義の先駆けとされています。その精緻な描写は、多くの画家たちに影響を与えました。 地図作品:「大日本全図」や「千葉県管内実測図」など、精密な地図制作においても高い評価を受けています。 結城正明は、伝統的な日本画の技法を基盤としながらも、西洋の技術や表現を積極的に取り入れ、明治期の美術界に新たな風を吹き込んだ先駆者です。彼の作品や教育活動は、近代日本美術の発展において重要な位置を占めています。 |