狩野中信かのうちゅうしん

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 幕末・明治の画家。狩野伊川院の第五子、母は成島図書頭司直の女。浜町狩野友川助信の養子となる。通称は薫四郎、初号は幸川、のち董川、別号を全楽斎。幕府の絵師となり、法眼に叙せられた。明治4年(1871)歿、61才。

狩野中信(かのう なかのぶ、1811年〈文化8年〉– 1871年〈明治4年〉)は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した狩野派の絵師で、浜町狩野家の第8代当主です。号は董川(とうせん)や幸川(こうせん)、菫川(きんせん)などを用いました。木挽町狩野家の狩野伊川院栄信の五男として生まれ、のちに浜町狩野家の7代目・友川助信の養子となり、家督を継ぎました。

生涯と背景
中信は、江戸幕府の御用絵師として知られる浜町狩野家の当主として、幕府の公式な絵画制作に携わりました。弘化元年(1844年)には、画家としての功績が認められ、法眼に叙せられています。彼の活動は、江戸狩野派の伝統を継承しつつも、時代の変化に対応した作品を制作することで知られています。

作風と代表作
狩野中信の作品は、伝統的な狩野派の技法を基盤としながらも、細密な描写と豊かな色彩表現が特徴です。特に、花鳥画や山水画において、その繊細な筆致と構図の巧みさが際立っています。

代表的な作品には以下のようなものがあります:

「紅梅に鴛鴦図」:雪の積もる紅梅の枝に寄り添う鴛鴦を描いた作品で、冬の情景を情緒豊かに表現しています。
「禽鳥紅葉図」:紅葉の枝に止まる鳥を描いた作品で、秋の風情を感じさせる一幅です。
「牡丹菊花之図」:牡丹と菊を描いた双幅で、花弁や葉の細部に至るまで精緻に描写されています。
「倣狩野元信 真山水図」:狩野元信の山水画を模した作品で、伝統的な山水画の構図と技法を踏襲しています。

これらの作品は、現在も美術館や個人コレクションに所蔵されており、狩野中信の画技の高さを示しています。

評価と影響
狩野中信は、幕末の動乱期においても狩野派の伝統を守りつつ、新たな表現を模索した画家として評価されています。彼の作品は、国内外の美術館に所蔵されており、特にロシアのエルミタージュ美術館には彼の作品が収蔵されていることが知られています。

また、万延元年(1860年)の遣米使節団がアメリカ合衆国大統領に贈った絵画の中に、狩野中信の「富士飛鶴図」が含まれていたとされ、彼の作品が国際的な贈答品として選ばれるほどの評価を受けていたことがうかがえます。

狩野中信は、江戸時代後期から幕末にかけての日本画壇において、狩野派の伝統を継承しつつも、時代の要請に応じた作品を制作した画家として、その名を残しています。彼の作品は、現在も多くの人々に鑑賞され、その技術と美意識が高く評価されています。