小林永濯こばやしえいたく
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵・日本画 |
プロフィール | 小林 永濯(こばやし えいたく、天保14年3月23日〈1843年4月22日〉 - 明治23年〈1890年〉5月27日)とは、江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師、日本画家。 小林永濯(こばやし えいたく、1843年〈天保14年〉3月23日 – 1890年〈明治23年〉5月27日)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した日本画家・浮世絵師です。狩野派の伝統を受け継ぎつつ、西洋画の写実技法や明画の筆意を取り入れた革新的な作品で知られています。その作品は国内外で高く評価され、ボストン美術館や大英博物館などに所蔵されています。 生涯と画業 小林永濯は、江戸・日本橋の魚問屋「三浦屋吉三郎」の子として生まれました。生来の病弱と潔癖症から家業の魚に触れることを嫌い、幼少期より絵に親しみました。13歳で中橋狩野家の狩野永悳に入門し、狩野派の画法を学びました。その後、姫路藩や彦根藩の御用絵師として活動しましたが、桜田門外の変などの影響で藩士としての道は閉ざされました。 明治初期には、狩野派の粉本主義に飽き足らず、浮世絵や西洋画の技法を取り入れた作品を制作し始めました。特に、河鍋暁斎や月岡芳年と親交を深め、彼らと共に新たな画風を模索しました。明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会では『天照大神、素戔嗚尊、問答』と『神武天皇命鳥ノ図』を出品し、花紋賞を受賞しました。 作風と代表作 小林永濯の作品は、狩野派の伝統的な技法に加え、西洋画の陰影法や写実的表現を取り入れた点が特徴です。また、歴史画や神話画、風俗画など多岐にわたる題材を手がけました。 私の美術館 -Mai Arts- - 持ち歩ける美術館 代表作には以下のようなものがあります: 『道真天拝山祈祷の図』:菅原道真が天拝山で無実を訴える場面を描いた作品で、ボストン美術館に所蔵されています。 『黄石公張良図』:東京国立博物館に所蔵されており、明治7年(1874年)頃の作品とされています。 『鮮斎永濯画譜』:明治17年(1884年)に刊行された画譜で、彼の画風を知る上で貴重な資料です。 これらの作品は、狩野派の技法と西洋画の要素を融合させた独自の画風を示しています。 海外での評価と遺産 小林永濯の作品は、明治時代の日本画の革新を象徴するものとして、国内外で高く評価されています。特に、ボストン美術館や大英博物館などの海外の美術館に所蔵されており、国際的な評価を受けています。また、彼の門人には富岡永洗、村田永挙、藤島永柳などがあり、彼の画風は後世に引き継がれました。 小林永濯は、狩野派の伝統を守りつつも、新たな表現を追求した画家であり、その革新的な作品は現在でも多くの人々に影響を与えています。彼の作品を通じて、明治時代の日本画の変遷と革新を感じることができます。 |