平野五岳ひらのごがく
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 幕末・明治の真宗の僧・画家。豊後生。名は岳・聞慧、別号に古竹園・方外仙史等。広瀬淡窓に経学・詩書を学ぶ。前田暢堂・日根野対山と交わり、詩書画三絶として松方正義・木戸孝允の推賞を受けた。明治26年(1893)寂、85才。 平野五岳(ひらの ごがく、1809年〈文化6年〉– 1893年〈明治26年〉)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した豊後南画の画僧です。本名は岳、字は五岳。号に竹邨方外史、古竹園主、古竹老衲などがあります。彼は詩・書・画の三芸に秀でた「三絶僧」として知られ、南画の分野で高い評価を受けました。 生涯と背景 平野五岳は、1809年に豊後国日田郡渡里村(現在の大分県日田市)で生まれました。正念寺に生まれ、のちに専念寺の養子となり同寺を継ぎました。11歳の頃から儒学者広瀬淡窓に学び、淡窓の私塾「咸宜園」の人々と交友を深めました。30歳代から本格的に画作に取り組み、田能村竹田の画風を学びましたが、50歳代に入った幕末頃より独自の画風を確立していきました。 作風と作品 五岳の作品は、実際の景色を描くのではなく、省略化された画面構成が特徴で、前衛的な表現として評価されています。彼の代表作には以下のようなものがあります: 「梅花書屋図」(1846年) 「春山渓閣図」(1856年) 「渓閣読書図」(1857年) 「危巖松風図」(1861年) 「松林山水図」(1861年、1874年) 「青山白雲図」(1870年) 「月下孤蓬図」(1876年) 「十六羅漢図」(1884年) 「雪中山水図」(1888年) 「梧桐図」(1892年) これらの作品は、大分市美術館などに所蔵されています。 評価と影響 五岳は、詩・書・画の三芸に秀でた「三絶僧」として知られ、文人のたしなみである三絶(詩、書、画)に通じ、高い評価を受けています。明治初年、日田県知事となった松方正義は五岳の書画を高く評価し、それによって中央でも知られるようになりました。 平野五岳は、南画の伝統を継承しつつも独自の表現を追求した画家であり、その作品や思想は、現在でも多くの人々に影響を与えています。 |