狩野素川かのうそせん

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 1765-1826 江戸時代中期-後期の画家。
明和2年生まれ。狩野賢信(かたのぶ)の子。父の跡をうけて浅草猿屋町代地狩野家をついだ。一説では宇多川徳元の子とされる。木挽町(こびきちょう)狩野家の伊川に匹敵する実力者といわれた。文政9年10月2日死去。62歳。名は彰信。通称は仙次郎,外記。別号に大玄斎。

狩野素川(かのう そせん、1765年 – 1826年)は、江戸時代後期に活躍した江戸狩野派の画家であり、浅草猿屋町代地家の五代目当主です。本名は狩野章信(あきのぶ)で、号は大玄斎、別名として仙次郎、外記などがあります。父は宇田川徳元とされ、狩野寿石賢信の養子となりました。15歳で将軍家の御用絵師となり、18世紀後半から19世紀前半にかけて活動しました。


生涯と画業
狩野素川は、18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した江戸狩野派の画家であり、浅草猿屋町代地家の五代目当主です。父は宇田川徳元とされ、狩野寿石賢信の養子となりました。15歳で将軍家の御用絵師となり、18世紀後半から19世紀前半にかけて活動しました。

36歳で早くも隠居し、花街での遊興を好みましたが、在世中から人気のある画家であり、狩野栄信とライバル関係にあったとされています。松平定信周辺の画事も勤めるなど、当時の江戸画壇で注目すべき活動をした江戸狩野派の画家と言えます。

作風と作品
狩野素川は、人物、山水、花鳥画のほか、浮世絵風や南画風の作品など、様々な様式を使いこなし、仏画にも優れた作品を残しました。文人墨客と交わることで、江戸画壇の諸潮流を江戸狩野派の様式のうちに取り込んだ点で重要な画家です。


代表的な作品には、《江都四時勝景図巻》(江戸東京博物館)、《三十六歌仙図》(大英博物館)、《美人図》(板橋区立美術館)、《見立普賢菩薩図》(ボストン美術館)、《仏涅槃図》(個人蔵)などがあります。また、《戯画帖》(個人蔵)のような洒脱な作品もあります。

評価と影響
狩野素川は、江戸狩野派の中でも特に多様な作風を持ち、文人画や浮世絵の要素を取り入れるなど、革新的な試みを行いました。その作品は国内外の美術館に所蔵されており、現存する作品は60点を超えます。彼の画論『画道伝授口訣』は、江戸時代の絵画理論を知る上で貴重な資料となっています。

狩野素川は、江戸狩野派の伝統を守りつつも、新たな表現を追求した画家であり、その多様な作風と作品は、現在でも高く評価されています。