重春塘しげしゅんとう

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 1833-1904 幕末-明治時代の日本画家。
天保(てんぽう)4年生まれ。河北春谷に文人画をまなび,一家をなした。京都府画学校でおしえ,門下に杉渓六橋がいる。明治37年1月21日死去。72歳。京都出身。名は自厚。字(あざな)は薄責。別号に単香。

重春塘(しげ しゅんとう)は、幕末から明治時代にかけて京都で活躍した南画家(文人画家)です。彼の本名は重自厚(しげ じこう)、字は薄責(はくせき)、号は梧叟(ごそう)と称しました。京都出身で、天保4年(1833年)に生まれ、明治37年(1904年)1月21日に72歳で没しました。


経歴と活動
重春塘は、京都で南画を学び、河北春谷に師事しました。その後、京都府画学校で教鞭をとり、門下には杉渓六橋などがいます。明治29年(1896年)には、門人の河村虹外とともに日本南画協会の結成に参加し、南画の普及と発展に尽力しました。


作風と作品
重春塘は、山水画を中心とした南画を得意とし、詩情豊かな作品を多く残しました。彼の作品は、現在も古書店やオークションなどで取引されており、その筆致や構図から高い評価を受けています。


門下生と影響
重春塘の門下には、杉渓六橋や河村虹外などがいます。特に河村虹外は、若狭小浜に生まれ、京都で重春塘に師事し、明治29年に日本南画協会の結成に参加するなど、師の影響を受けて南画の発展に貢献しました。


重春塘の作品やその影響についてさらに知りたい場合は、成田山書道美術館や京都国立博物館などでの展示や、関連書籍をご覧になることをおすすめします。