高井鴻山たかいこうざん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 高井 鴻山(たかい こうざん、文化3年3月15日〈1806年5月3日〉-明治16年〈1883年〉2月6日)とは、江戸時代の儒学者、浮世絵師。 高井鴻山(たかい こうざん)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した長野県出身の文化人・南画家・書家・政治家です。幕末の志士たちとも交流があり、地方文化の振興とともに、地域の教育・政治にも大きな貢献をしました。その幅広い活動と教養から「信州の文人」とも称されます。 【基本情報】 本名:高井 信成(たかい のぶしげ) 号:鴻山(こうざん)、東山、無何有斎など 生没年:文化6年(1809年)~明治20年(1887年) 出身地:信濃国 小布施(現在の長野県小布施町) 職業:文人画家、書家、政治家、小布施の豪商 【略歴】 小布施の豪商・高井家に生まれ、若くして漢学、書道、画法を学びました。 画は南画を中心に、詩文や書にも通じ、特に中国の文人文化への深い理解がありました。 経済的にも恵まれ、自由な学問・文化活動を支えました。 幕末には尊皇攘夷運動に共感し、坂本龍馬や吉田松陰、佐久間象山らとも交流を持ちます。 【文化的な貢献】 自宅を「無何有荘(むかうそう)」と名付け、多くの文人墨客を招き、文化サロンとして開放。 葛飾北斎との交流が特に有名で、小布施に招き、北斎の晩年の大作《天井絵「鳳凰図」》などを小布施の岩松院に残させました。 小布施町の文化的発展に大きく寄与し、今日の小布施が「栗と文化の町」として知られる礎を築きました。 【画風・作風】 南画(文人画)を中心に、詩書画一致を重視 山水画、花鳥画に優れ、詩情あふれる静謐な世界観を描き出すのが特徴です。 書は力強く、草書・行書に優れた作品が多いです。 「無何有斎高井鴻山」の落款がある作品は、今でも高く評価されています。 【政治活動】 地元の小布施では庄屋的な存在として地域の発展に尽力。 明治維新後は、地域の教育・産業振興に貢献し、小布施町の近代化に努めました。 教育熱心で、子弟に学問を奨励するための資金援助なども行いました。 【代表的なエピソード】 葛飾北斎の支援者として知られ、北斎が晩年に小布施に滞在し多くの傑作を残したのは鴻山の厚意によるものです。 「天井絵 鳳凰図」は現在も小布施町・岩松院の天井に現存しています。 幕末の志士・坂本龍馬とも親交があったとされ、そのネットワークは全国に広がっていました。 【現存する主な作品・資料】 小布施町の高井鴻山記念館に多数の書画が所蔵・展示されています。 小布施の各所に、鴻山の書による石碑や記念碑が残っています。 |