長谷川雪堤はせがわせってい

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 長谷川 雪堤(はせがわ せってい、文化10年(1813年)1月 - 明治15年(1882年)3月15日)は江戸時代末期(幕末)から明治時代の絵師。長谷川雪旦の長男。姓は後藤、名は宗一。号に松斎、梅紅、巌松斎、雪汀。

長谷川雪堤(はせがわ せってい、1813年–1882年)は、江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した日本の画家で、名所図会の挿絵画家として知られる長谷川雪旦(せったん)の実子です。名は宗一、別号に梅紅や巌松斎などがあります。父・雪旦に絵を学び、風景画や人物画を中心に多くの作品を残しました。

雪堤は、父と同様に名所図会の挿絵画家として活躍しました。特に、相模国の名所旧跡や徳川家康に関連する事績を記録した地誌『相中留恩記略』や、『成田名所図会』の挿絵を手がけ、名所図会画家としての地位を確立しました。

また、雪堤の門人には長谷川雪塘(せっとう、1836年–1890年)がいます。雪塘は唐津藩の御用絵師となり、唐津に居住して多くの作品を残しました。雪堤自身は唐津に住むことはありませんでしたが、彼の影響は門人を通じて広がりました。

雪堤は、明治15年(1882年)に70歳で亡くなりました。彼の作品や画風は、父・雪旦の影響を受けつつも、独自の表現を追求し、江戸から明治への時代の移り変わりを背景に、多様な画風を取り入れた点が特徴です。