塩川文麟しおかわぶんりん
時代 | 明治時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 日本画 |
プロフィール | 塩川 文麟(しおかわ ぶんりん、文化5年(1808年)- 明治10年(1877年)5月11日)は、江戸時代末から明治初期の日本画家。幼名は隼人、字は子温もしくは士温、号は初めは雲章、後に文麟、別に可竹斎や泉声答斎や木仏老人など、通称は図書(ずしょ)。 幕末の京都を代表する絵師の一人で、同じ四条派の横山清暉、岸派の岸連山、円山派の中島来章と共に、幕末の平安四名家と称された。 塩川文麟(しおかわ ぶんりん、1808年〈文化5年〉– 1877年〈明治10年〉5月11日)は、幕末から明治初期にかけて活躍した日本画家で、四条派を代表する画家の一人です。岡本豊彦に師事し、山水・人物・花鳥など多岐にわたる画題を手がけ、京都画壇の発展に大きく貢献しました。 生涯と経歴 塩川文麟は、京都の安井宮門跡に仕える家に生まれ、自身も門跡近侍を務めていましたが、主命により岡本豊彦に師事し、絵師となりました。 作風と代表作 塩川文麟の作品は、四条派の伝統を受け継ぎつつも、爽やかで明るく知的な作風が特徴です。山水・人物・花鳥とあらゆる画題をこなし、特に山水画においては、自然の風景を繊細に描写しています。 教育と京都画壇への貢献 塩川文麟は、京都在住の画家を糾合して「如雲社」を創立し、京都画壇の基礎を築きました。また、彼の門下には多くの優れた画家が育ち、明治期の日本画壇に大きな影響を与えました。 塩川文麟の作品は、現在も各地の美術館で所蔵・展示されており、その芸術性と技術は高く評価されています。特に山水画に関しては、静岡県立美術館などで鑑賞することができます。 |