田崎草雲たざきそううん

時代 明治時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 日本画
プロフィール 田崎 草雲(たざき そううん、1815年11月15日(文化12年10月15日) - 1898年(明治31年)9月1日))は日本の南画画家。名は芸(うん)。字は草雲。弟子に小室翠雲がいる。司馬遼太郎の短編「喧嘩草雲」のモデル。

田崎草雲(たざき そううん、1815年〈文化12年〉10月15日 – 1898年〈明治31年〉9月1日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の南画家(文人画家)です。本名は芸(うん)で、字(あざな)を草雲と称しました。江戸神田小川町の足利藩邸内に生まれ、足利藩士としての道を歩みながらも、画業に専念し、数々の名作を残しました。

生涯と画業
幼少期からの修練:幼い頃から親戚の金井烏洲に絵画の手ほどきを受け、20歳のときに藩士を辞めて画業に専念しました。その後、谷文晁や渡辺崋山らの画風を学び、嘉永6年(1853年)には足利藩の絵師となりました。
幕末の活動:幕末の動乱期には、尊王の志を強くし、民兵組織「誠心隊」を結成して足利の治安維持に努め、町を戦火から守りました。

明治時代の功績:明治11年(1878年)には、蓮岱寺山(現:足利公園内)に「白石山房」を建て、山水・花鳥・人物など様々な作品を描きました。また、明治23年(1890年)には、芸術家にとって最も名誉ある帝室技芸員に選ばれました。

代表作品
蓬莱仙宮図(栃木県指定文化財):
海上に浮かぶ蓬莱山を描いた作品で、遠近法や色彩の調和が見事です。
富嶽図(栃木県指定文化財):
直径154cmの円窓に描かれた富士山の水墨画で、明治26年のシカゴ万博に出品され、名誉賞牌を受賞しました。
花鳥図 三幅対(足利市指定文化財):
春夏秋冬の花と鳥を描いた三幅対の作品で、色彩豊かで繊細な描写が特徴です。
怒涛・牡丹図:
中国風の影響を受けた作品で、波の動きや牡丹の描写に南画の特色が表れています。
草雲美術館と旧宅
田崎草雲の旧宅「白石山房」は、現在「草雲美術館」として一般公開されています。美術館では、草雲の作品や遺品が展示されており、彼の芸術と生涯を学ぶことができます。

田崎草雲は、画家としての才能だけでなく、時代の変革期において地域社会の安定にも貢献した人物です。その多彩な活動と作品は、現在も多くの人々に影響を与え続けています。