歌川国虎うたがわくにとら
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 歌川 国虎(うたがわ くにとら、生没年不詳)は江戸時代後期の浮世絵師。 歌川国虎(生没年不詳) 歌川国虎は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、歌川派に属する絵師のひとりです。 活動時期は主に文化年間(1804–1818年)から天保年間(1830–1844年)頃と推定されます。 ◆ 出自と師匠 師匠は、初代歌川豊国(うたがわ とよくに)。 初代豊国の門弟のひとりで、「国」の字をもらって「国虎」と名乗りました。 系譜的には、歌川派の中でも役者絵・美人画を得意とした系統に属します。 作風・ジャンル 歌川国虎は、主に以下のジャンルで作品を残しました。 役者絵(歌舞伎絵) → 歌舞伎の人気役者を描いた錦絵(多色刷りの浮世絵版画)が中心。 → 舞台の演目に取材したものが多い。 美人画 → 当時の町娘、遊女、芸者など、庶民層の女性像を親しみやすく描写。 挿絵(版本の挿絵) → 黄表紙(庶民向けの絵入り小説)や合巻(絵入り小説の一種)などの挿絵も手がけました。 武者絵や歴史画 → 武士や英雄の活躍を題材にした絵も描いていますが、役者絵ほど多くはありません。 代表作・知られる作品例 歌舞伎演目にちなんだ三枚続きの大判錦絵 「源平合戦物語」などの武者絵シリーズ 黄表紙の挿絵(江戸後期の娯楽本の絵師としても活動) ※ただし、国虎は初代豊国や国貞(のちの三代豊国)に比べると、知名度がやや低く、現存する作品点数もそれほど多くありません。 歌川国虎と「上方浮世絵」 一部の説では、歌川国虎がのちに上方(京都・大阪)に拠点を移し、 「上方浮世絵」の発展に関わった可能性が指摘されています。 特に 大阪で活躍した「歌川派」の絵師たち 役者絵を中心とする上方浮世絵のスタイル形成 には、国虎またはその門流の影響があると考えられています。 注意点:「国虎」という名の混同 「歌川国虎」という名前は、浮世絵師の間で複数回使用されており、 同時代や後代に 二代国虎 上方の国虎 など、異なる人物が存在します。 そのため、作品によっては「どの国虎の作か」について議論されることもあります。 (特に、大阪浮世絵の「国虎」は別系統と見なされる場合もあります。) まとめ 歌川国虎は、初代歌川豊国の弟子で、役者絵・美人画を得意とした浮世絵師。 活動時期は文化から天保年間。 上方浮世絵との関わりを持つ可能性もあるが、詳細は不明瞭。 「国虎」の名は複数代にわたって使用され、作品の真贋や帰属に注意が必要。 |