四代豊国よんだいとよくに

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 四代目 歌川豊国(よだいめ うたがわ とよくに、文政6年〈1823年〉 - 明治13年〈1880年〉7月20日)は、江戸時代後期の浮世絵師。

「四代豊国」という人物は、一般には存在が確定しているわけではありません。
「豊国」という号(画号)は、主に歌川派の重要な浮世絵師たちが代々襲名してきた名前ですが、「豊国」という名を継いだのは主に初代・二代・三代に限定されるのが通説です。

具体的には:

初代 歌川豊国(1769–1825)
→ 浮世絵の大巨匠。役者絵を革新し、後の歌川派の礎を築きました。
二代 歌川豊国(1777–1835)
→ 初代の弟子。本名・岡本豊彦。やや活動が地味で、作品もあまり多くないとされます。
三代 歌川豊国(1786–1864)
→ 有名な歌川国貞(うたがわ くにさだ)が師の死後「三代豊国」を襲名。
彼が最も有名な「三代豊国」として知られています。特に美人画・役者絵で絶大な人気を誇りました。
では、なぜ「四代豊国」といった存在が話題になるのかというと、
三代豊国(=国貞)の死後、その後継者的な立場をとった人物たちがいたからです。
ただし正式に「四代豊国」を名乗ったとは言えないため、学術的・歴史的には確定した「四代目」は存在しません。

それでも関連が深いとされるのは、以下のような絵師たちです。

「四代豊国」に関連がある人物たち
歌川国芳(うたがわ くによし)
→ 国貞と同時代を生きた別系統の大絵師。だが豊国系ではなく、直接の「四代」ではありません。
歌川国政(うたがわ くにまさ) → 国貞門下の筆頭格の一人。後継者的存在ですが、「豊国」を名乗ったという記録はありません。
歌川国輝(うたがわ くにてる) → 国貞・国芳双方に師事。幕末から明治期にかけて活躍しましたが、「豊国」の号を継承したわけではありません。
このように、三代豊国の死後は「豊国」の号は自然消滅し、その後継を巡って特定の「四代」が定着しなかったのです。

まとめ
「四代豊国」という正式な存在はない。
三代豊国(歌川国貞)の後、豊国号は継承されなかった。
代わりに門下生たち(歌川国政、歌川国輝など)がそれぞれ活躍。
「四代豊国」と呼ばれる場合があっても、あくまで後世の便宜的な呼称に過ぎない。