大津又平おおつまたべい

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール ​大津又平(おおつ またべい)は、江戸時代前期から中期にかけて活動したとされる絵師で、特に滋賀県大津市で発展した民俗絵画「大津絵」の作者の一人と考えられています。​また、近松門左衛門の浄瑠璃作品『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』に登場する架空の人物「吃(ども)の又平」とも関連付けられ、実在と虚構が交錯する存在として知られています。​


実在の絵師としての又平
大津又平は、又平久吉(またべい ひさきち)とも呼ばれ、近江国大津(現在の滋賀県大津市)の出身とされています。​彼は大津絵の作者の一人であり、江戸時代前期から中期にかけて活動したと考えられています。​『浮世絵類考』追考には、「八十八歳又平久吉」と落款された「槍持奴図」があると記されており、長寿を全うした絵師であった可能性が示唆されています。 ​


文楽・歌舞伎における「吃の又平」
近松門左衛門の浄瑠璃作品『傾城反魂香』には、吃音を持つ絵師「吃の又平」が登場します。​この又平は、師匠である土佐将監光信の弟子でありながら、吃音のために正規の弟子として認められず、苦悩する姿が描かれています。​物語の中で、又平は手水鉢に自画像を描き、その絵が石を通して裏面に抜け出るという奇跡を起こし、師匠から認められるという感動的な場面があります。​この「吃の又平」は、実在の絵師である大津又平や岩佐又兵衛と結びつけられ、以後の混同が生じています。 ​


大津絵と又平の関係
大津絵は、滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、仏画や世俗画などさまざまな画題を扱い、東海道を旅する旅人たちの土産物や護符として知られていました。​大津絵は、肉筆画でありながら、手早く仕上げてお客さんを待たせないで売るために、型紙刷りなどの技法を組み合わせて描かれていました。​高名な絵師であっても、生活費を得るために、お土産物の大津絵を大量生産していたため、署名がない作品も多く存在します。​このような背景から、大津又平が大津絵の作者の一人とされるものの、具体的な作品や詳細な経歴については不明な点が多いのが現状です。 ​


実在と虚構の交錯
大津又平は、実在の絵師としての側面と、文学や演劇作品に登場する架空の人物としての側面が交錯する存在です。​そのため、彼の実像を明確にすることは難しく、研究者の間でも議論が続いています。​しかし、大津絵の発展や日本の伝統芸能における重要なモチーフとして、又平の存在は現在でも注目されています。​

大津又平は、江戸時代の民俗絵画「大津絵」の作者の一人とされる実在の絵師であり、また、文学や演劇作品に登場する架空の人物としても知られています。​その実像は不明な点が多いものの、日本の伝統芸能や美術において重要な存在であり、今後の研究によってさらに明らかになることが期待されています。