岩佐勝重いわさかつしげ
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 岩佐 勝重(いわさ かつしげ、慶長18年〈1613年〉? - 寛文13年2月20日〈1673年4月7日〉)は、江戸時代初期の画家。 岩佐勝重(いわさ かつしげ、生年不詳 – 寛文13年2月20日〈1673年4月7日〉)は、江戸時代初期の画家であり、浮世絵の先駆者として知られる岩佐又兵衛の嫡男です。通称は源兵衛。父の画風を継承しつつ、福井藩の御用絵師として活躍しました。 経歴と活動 岩佐勝重は、福井藩に仕える御用絵師として、藩主の命により絵事御用を務めました。寛永14年(1637年)に父・又兵衛が江戸へ移った後も福井に留まり、17石の扶持を受けて藩の絵師として活動を続けました。寛文9年(1669年)の福井城の大火後、再建された福井城本丸御殿の「鶴之間」の襖絵として、金碧の「群鶴図」を描きました。この作品は現在、福井県立美術館に所蔵されています。 作風と代表作 勝重は、彩色人物画を得意とし、父・又兵衛の画風を受け継ぎながらも、独自の表現を追求しました。彼の作品には、浮世絵風や狩野派風の肉筆画、寛文美人画などがあり、風俗画の分野では父以上に多くの作品を残しています。代表作には、「群鶴図屏風」(福井県立美術館所蔵)や「職人尽図屏風」(鎌倉国宝館所蔵)などがあります。 岩佐派の継承と終焉 勝重の子・岩佐陽雲(いわさ よううん)も福井藩に仕え、絵事御用を務めましたが、貞享3年(1686年)に福井藩の領地が半減された際に解雇され、岩佐派は三代でその歴史に幕を閉じました。 岩佐勝重は、父・又兵衛の画風を継承しつつ、福井藩の御用絵師として独自の作品を残しました。彼の作品は、現在でも福井県立美術館や鎌倉国宝館などで鑑賞することができます。 |