歌川豊春うたがわとよはる

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 歌川 豊春(うたがわ とよはる、享保20年〈1735年〉 - 文化11年1月12日〈1814年3月3日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。歌川派の祖。

歌川豊春(うたがわ とよはる、1735年〈享保20年〉–1814年〈文化11年〉)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した浮世絵師であり、歌川派の創始者として知られています。​彼の革新的な技法と教育活動は、後の浮世絵界に大きな影響を与えました。​

経歴と出自
歌川豊春の出生地については、豊後国臼杵(現在の大分県臼杵市)、但馬国豊岡(現在の兵庫県豊岡市)、および江戸の三説があり、定説は確立されていません。​近年では、臼杵出身説が有力視されています 。​

彼の本名は昌樹(まさき)、通称は但馬屋庄次郎、後に新右衛門と改めました。​号としては一龍斎、潜龍斎、松爾楼などを用いています。​「歌川」の姓は、江戸の芝宇田川町に居住していたことに由来するとされています 。​

若い頃、京都で狩野派の鶴沢探鯨に学び、その後江戸に移り、鳥山石燕に師事したと伝えられていますが、これらの師弟関係については確証がなく、他にも西村重長や石川豊信の門人であったという説も存在します 。​

作風と業績
歌川豊春は、浮世絵版画において役者絵や美人画を手がけましたが、特に「浮絵(うきえ)」と呼ばれる西洋の遠近法を取り入れた作品で知られています。​彼は、奥村政信が始めた浮絵をさらに発展させ、正確な遠近法を用いて江戸の風景を描き、風景画としての浮世絵の地位を確立しました 。​

また、彼はヨーロッパや中国から輸入された銅版画を研究し、それらを模写することで技術を習得しました。​これにより、浮世絵における風景画の発展に大きく貢献し、後の葛飾北斎や歌川広重らの作品に影響を与えました 。​

教育活動と歌川派の発展
歌川豊春は、弟子の育成にも力を注ぎました。​彼の門下からは、初代歌川豊国や歌川豊広といった優れた絵師が輩出され、さらにその弟子たちからは歌川国貞、歌川国芳、歌川広重など、幕末の浮世絵界を代表する絵師たちが登場しました 。​これにより、歌川派は浮世絵界において最大の画派として栄えました。​


代表作と所蔵美術館
歌川豊春の代表作には、以下のような作品があります:​

『紅毛フランカイノ湊万里鐘響図』
『浮絵和国景跡京都三拾三軒堂之図』
『阿蘭陀フランスカノ伽藍之図』
『浮絵 紅毛フランカイノ湊万里鐘響図』

これらの作品は、ボストン美術館やメトロポリタン美術館など、国内外の主要な美術館に所蔵されています。​

歌川豊春は、浮世絵に西洋の遠近法を取り入れた革新的な作品を生み出し、また多くの優れた弟子を育てることで、浮世絵の発展に大きく寄与しました。​彼の業績は、現在でも高く評価されています。