鳥居清元とりいきよもと

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 鳥居 清元(とりい きよもと、正保2年〈1645年〉 - 元禄15年4月28日〈1702年5月24日〉)とは、江戸時代中期の浮世絵師。鳥居派の祖。

鳥居清元(とりい きよもと)は、江戸時代前期に活躍した絵師であり、浮世絵の一派である「鳥居派」の創始者として知られています。​彼は元々歌舞伎役者を目指していましたが、絵師としての道を選び、歌舞伎と浮世絵の融合を図ることで、後の浮世絵発展に大きな影響を与えました。​

生涯と来歴

生年:不詳
没年:​1702年(元禄15年)
出身地:​大坂(現在の大阪市)
活動拠点:​大坂から江戸へ移住
職業:​絵師、看板絵師​

鳥居清元は、当初は大坂の道頓堀にある劇場で看板絵を描いていました。​1687年(貞享4年)、23歳の息子・鳥居清信と共に江戸に移住し、難波町(現在の中央区日本橋人形町)に居を構えました。​江戸では、市村座などの主要な歌舞伎劇場の看板絵を手がけ、その名を広めました。​


作風と特徴

歌舞伎との関係:​清元は元々歌舞伎役者であったため、演目の内容や登場人物、衣装、舞台装置などに精通しており、その知識を活かして看板絵や番付絵を制作しました。
看板絵の革新:​それまで文字中心であった劇場の看板に、役者の姿を描いた絵を導入し、視覚的な訴求力を高めました。
鳥居派の創始:​清元の技術と知識は息子・清信に受け継がれ、鳥居派として体系化されました。​

代表作と影響

清元の作品は看板絵や番付絵が中心であり、現存する作品は少ないですが、彼のスタイルは後の浮世絵師たちに大きな影響を与えました。​特に、息子の鳥居清信は、父の技術を基に浮世絵師としての地位を確立し、鳥居派を発展させました。​

鳥居派の系譜

鳥居清元の系譜は以下の通りです:​

鳥居清元(創始者)
鳥居清信(初代)
鳥居清倍(二代目)
鳥居清長
鳥居清満
鳥居清経
鳥居清忠
鳥居清貞
鳥居清光(現代)
鳥居派は、江戸時代から現代に至るまで、歌舞伎と浮世絵の関係を象徴する存在として、その伝統を守り続けています。​

鳥居清元は、歌舞伎と浮世絵を結びつけた先駆者として、また鳥居派の創始者として、日本の美術史において重要な役割を果たしました。​彼の革新的な取り組みは、後の浮世絵の発展に大きな影響を与え、現在もその伝統は受け継がれています。​