歌川国芳うたがわくによし
時代 | 江戸時代 |
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カテゴリー | 掛け軸,絵画、書画 |
作品種別 | 浮世絵 |
プロフィール | 歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1798年1月1日) - 文久元年3月5日(1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師。 歌川国芳(うたがわ くによし)について **歌川国芳(1797年〈寛政9年〉1月1日 – 1861年〈文久元年〉4月14日)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、特に武者絵(むしゃえ)**の名手として知られています。歌川派に属し、歌川豊国(初代)の門弟です。 彼は豪放磊落な画風と斬新な発想力で、江戸庶民から圧倒的な人気を得ました。また、幕末の浮世絵界に大きな影響を与えた一人であり、歌川芳年や月岡芳年、さらには後の西洋画家にも間接的に影響を与えた存在です。 生涯 本名:井草(いぐさ)家吉(のち一陽斎国芳と称する) 出身:江戸(現在の東京都) 師匠:歌川豊国 活動時期:文化・文政期(1804–1830年)から幕末(1860年代)にかけて 死因:脳溢血(のういっけつ)、享年65歳 若い頃はなかなか成功できず、苦労した時期が長かったですが、30代後半から「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズが大ヒットし、一躍有名絵師となりました。 画風と特徴 国芳の画風は非常に多様で、以下のジャンルに分けて語られることが多いです。 1. 武者絵(むしゃえ) 得意分野。特に中国『水滸伝』の英雄たちを描いたシリーズ「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」が大人気。 日本の歴史上の武将(源頼光、坂田金時など)もダイナミックに描きました。 骨太な筆致と、ヒロイックな構図が特徴。 2. 美人画・役者絵 師匠豊国に倣って、美人画や歌舞伎役者を描くこともありました。 ただし、彼の役者絵は写実性よりもキャラクター性を強調する傾向があります。 3. 風刺画・諷刺画 天保の改革(1841–1843年)の時期、幕府の検閲をかいくぐるため、動物や妖怪を擬人化して政治を風刺した絵を多く制作。 例:「猫飼好五十三疋(みょうかいこうごじゅうさんびき)」では東海道五十三次を猫でパロディ化。 4. 戯画(滑稽絵) 複数の人物や動物を寄せ集めて一つの顔に見立てる「寄せ絵(よせえ)」なども得意。 子どもたちや動物をモチーフにしたユーモラスな絵が多く、庶民の娯楽となった。 5. 妖怪・幽霊・幻想画 妖怪や異形の存在を非常に迫力のある造形で描きました。 例:「相馬の古内裏」(巨大な骸骨の妖怪図)は特に有名。 主な代表作 通俗水滸伝豪傑百八人之一個 相馬の古内裏 猫飼好五十三疋 東都三ツ股の図 源頼光公館土蜘蛛作妖怪図 讃岐院眷属をして為朝をすくふ図 国芳の影響力 後の月岡芳年、河鍋暁斎などに直接影響を与えました。 近代では、手塚治虫や水木しげる、さらには現代のアニメ・マンガ文化にも彼の影響が見られると指摘されることがあります。 海外でも評価が高く、ジャポニスム(19世紀後半のヨーロッパにおける日本ブーム)にも間接的に影響しました。 性格・逸話 非常にユーモアに富み、猫好きとしても有名です。 弟子たちにも自由な発想を尊重する教育を行い、個性的な門人を多く輩出しました。 特に猫を愛し、作品のあちこちに猫が登場します。 金銭欲に淡白で、気前の良い人物だったとも伝わります。 まとめ 歌川国芳は、「勇壮さ」「ユーモア」「風刺」「幻想美」のすべてを兼ね備えた江戸浮世絵界の巨星です。 彼の絵は当時の庶民文化だけでなく、今の日本文化の底流にも脈々と受け継がれています。彼の作品を見ると、江戸の「粋」と「洒脱」が生き生きとよみがえります。 |