歌舞伎堂艶鏡かぶきどうえんきょう

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 歌舞伎堂 艶鏡(かぶきどう えんきょう、寛延2年〈1749年〉 - 享和3年9月20日〈1803年11月4日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。「歌舞妓堂」とも記される。

歌舞妓堂艶鏡(かぶきどう えんきょう、1749年〈寛延2年〉–1803年〈享和3年〉)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、特に役者絵を手がけたことで知られています。​彼の作品は、東洲斎写楽の画風に似ていると評されることがあり、その関係性についても議論されています。​

来歴と人物像
歌舞妓堂艶鏡の実像については不明な点が多いものの、大正15年(1926年)に落合直成が発表した論文において、彼が歌舞伎狂言作者の二代目中村重助であるとの説が提唱されました。​この説によれば、艶鏡は中村重助の俳号であり、彼の生没年は1749年から1803年とされています。 ​

また、艶鏡は寛政7年(1795年)秋から翌年にかけて、東洲斎写楽の活動終了直後に作品を発表しており、その画風や活動時期の近さから、写楽と同一人物であるとの説も存在します。 ​

作風と作品
歌舞妓堂艶鏡の作品は、写楽のような誇張された表現ではなく、温和で美的感覚に富んだ描写が特徴です。​彼の作品には版元や印章がなく、現存する作品は7点とされています。​

代表的な作品には以下のものがあります:

「三代目市川八百蔵の梅王丸」
「二代目中村仲蔵の松王丸」
「二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉」
「初代中山富三郎」​

これらの作品は、太田記念美術館やミネアポリス美術館、シカゴ美術館などに所蔵されています。 ​


写楽との関係性
歌舞妓堂艶鏡と東洲斎写楽の関係については、同一人物説や関連性を示唆する説が存在します。​写楽の活動期間終了直後に艶鏡が登場し、画風にも類似点が見られることから、写楽の別名義である可能性が指摘されています。​また、耳の描き方や細部の表現の酷似から、写楽の第三期の作品は艶鏡が描いたとする説もあります。 ​

歌舞妓堂艶鏡は、短期間の活動ながらも独自の画風を持ち、浮世絵の歴史において興味深い存在です。​彼の作品や写楽との関係性については、今後の研究によってさらに明らかになることが期待されています。​