歌川豊国うたがわとよくに

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 初代 歌川豊国(しょだい うたがわ とよくに、明和6年〈1769年〉 - 文政8年1月7日〈1825年2月24日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。本名は倉橋 熊吉(くらはし くまきち)、後に熊右衛門。一陽斎(いちようさい)と号す。

歌川豊国(うたがわ とよくに)

概要

**歌川豊国(1769年 – 1825年)**は、
江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、
**歌川派(うたがわは)**の大成者、そして後の浮世絵界をリードした最重要人物の一人です。

特に、役者絵・美人画・武者絵(武将を描いた絵)で圧倒的な人気を博し、
その弟子たちは、後の歌川国貞(のちの三代豊国)、歌川国芳など、
幕末浮世絵界を支えるスター絵師たちへと育っていきました。

生涯

生年
明和6年(1769年)、江戸(日本橋人形町)に生まれました。
出自
町人の家に生まれたとされます。
師匠
初めは鳥居派の浮世絵師に学びましたが、
のちに独自の画風を確立し、「歌川派」を一大流派へと成長させました。
(※一説に、鳥居清長の影響も受けたと言われます)
活躍期
寛政年間(1789–1801年)から文化・文政年間(1804–1830年)にかけて絶頂期を迎えます。
没年
文政8年(1825年)に57歳で死去しました。
作風と特徴

1. 役者絵(歌舞伎絵)
豊国の役者絵は、役者の顔立ち、個性をしっかりと描き分ける「似顔絵」の技術に優れていました。
舞台の臨場感をとらえたダイナミックな構図が特徴です。
華やかな衣装表現、ポーズの誇張により、観客に強烈な印象を与える絵を描きました。
2. 美人画
華やかで流麗な線を用い、色っぽさよりも健康的で堂々とした美人像を描きました。
初期の鈴木春信、喜多川歌麿の系譜を受けつつ、より華やかでパワフルなスタイルに発展させました。
3. 武者絵・歴史絵
武将、戦国武士を描く武者絵も得意とし、勇壮な描写と迫力ある画面構成を見せました。
主な代表作

『役者舞台之図』シリーズ
歌舞伎の名場面を連作で描いたもの。役者の姿と芝居の躍動感が表現されています。
『今様美人合』シリーズ
江戸の流行にあわせた美人たちをテーマに描いた連作。
『忠臣蔵』シリーズ
赤穂浪士たちの討ち入りをテーマに、ドラマチックな武者絵を描いています。
肉筆画『美人立姿図』
彩色豊かな肉筆画も数点現存しており、豪華な装束と堂々たる美人像が見られます。
歌川派と後継者たち

豊国は、歌川国貞(のちの三代豊国)、歌川国芳、歌川広重など、
浮世絵界を代表するスター絵師たちを育てました。
歌川派は、江戸後期から幕末にかけて浮世絵界を圧倒的に支配し、
浮世絵の最盛期を築き上げました。
豊国の評価と影響

役者絵における大革新者
鳥居清長以来の役者絵をさらにリアリスティックで迫力ある表現へと進化させました。
美人画の流れを再構築
喜多川歌麿の死後、やや停滞した美人画を、健康的で華やかな方向に再生させました。
弟子たちへの多大な影響
幕末の浮世絵人気を支えたのは、豊国の弟子たち(特に国貞・国芳)でした。
まとめ

江戸時代後期を代表する浮世絵師
役者絵、美人画、武者絵に秀でた
歌川派を確立し、浮世絵界最大の流派に育てた
歌川国貞、歌川国芳、歌川広重など有名弟子を輩出
文化・文政期の江戸浮世絵黄金時代を築いた中心人物