窪俊満くぼしゅんまん

時代 江戸時代
カテゴリー 掛け軸,絵画、書画
作品種別 浮世絵
プロフィール 窪 俊満(くぼ しゅんまん、宝暦7年〈1757年〉 - 文政3年9月20日〈1820年10月26日〉)とは、江戸時代の浮世絵師。北尾重政の門人で、同門の北尾政演(山東京伝)、北尾政美(鍬形蕙斎)と並び、重政な代表的な弟子である。

窪俊満(くぼ しゅんまん)

概要

**窪俊満(1757年または1759年 – 1820年)**は、
江戸時代後期の浮世絵師・戯作者(小説家)・俳人・狂歌師で、
とても多才な文化人でした。

特に、美人画や俳諧・狂歌(ユーモラスな短歌)を取り入れた浮世絵を得意とし、
また文章にも優れ、「絵と文の両方をこなす異才」として知られています。

生涯

生年
宝暦7年(1757年)または宝暦9年(1759年)生まれと推定されています。
出身地
江戸(現在の東京都)に生まれました。
学問と芸術
幼い頃から学問と詩歌に親しみ、
狂歌師・大田南畝(おおたなんぽ)や恋川春町(こいかわはるまち)らとも親交を持ちました。
師匠
絵は、浮世絵師**鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)や勝川春章(かつかわ しゅんしょう)**の影響を受けたとされます。
没年
文政3年(1820年)に江戸で亡くなりました。享年60代前半と見られます。
作風と特徴

美人画を得意とする
美人の立ち姿や日常の一瞬を、気品ある線描と淡い色彩で描きました。
鳥文斎栄之に似た優雅さがありながら、より親しみやすく、温かみのある雰囲気が特徴です。
狂歌絵本を制作
俳諧・狂歌(滑稽な短詩)と浮世絵を組み合わせた、ユーモラスな絵本を数多く出版しました。
「絵と文を一体化させた作風」は俊満ならではの特色です。
肉筆美人画にも優れる
肉筆画(一点もの)でも高い評価を受け、美人画では柔らかな色彩感と軽妙な筆使いを見せています。
洒脱な江戸文化の表現者
町人文化の洗練された遊び心を、軽妙な表現で描写しました。
主な代表作

『狂歌百人一首』挿絵
百人一首を狂歌で読み替え、そこに対応する浮世絵を描いたもの。
笑いと風刺を込めたユニークな作品。
『美南見十二候(みなみじゅうにこう)』
季節ごとの美人を描いたシリーズで、季節感と優雅な情感を織り交ぜています。
『当世遊里美人競(とうせいうりびじんくらべ)』
吉原の遊女たちを競うように描いた美人画シリーズ。
肉筆美人図
季節を背景に着物姿の女性を描いた作品が多く、穏やかで温かな美しさが特徴です。
文筆活動

俳諧・狂歌の名手
俳句や狂歌を詠み、洒落た文才を発揮しました。
特に狂歌では、当時の大田南畝らと並び称されるほどの実力を持っていました。
絵入り読み物も執筆
狂歌絵本、洒落本などに文章と挿絵を同時に提供し、江戸町人文化を生き生きと伝えました。
歴史的意義

絵師と文人の融合的存在
絵と文の両方に秀でた存在として、江戸後期の文化を幅広く彩った人物です。
江戸町人文化の体現者
洒脱で風流、かつ親しみやすい江戸町人文化を、絵と文で生き生きと表現しました。
美人画の流れを受け継ぎ発展させた
鳥文斎栄之や喜多川歌麿からの流れを汲みながら、より身近な美人像を描き続けました。
まとめ

江戸後期に活躍した浮世絵師・戯作者・俳人
美人画、狂歌絵本、肉筆画を手がけた
鳥文斎栄之に学びつつ、洒脱で温かみのある画風を確立
江戸町人文化を絵と文で生き生きと表現
文政3年(1820年)に没